だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

一太郎2019、応答なし。

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打てば響くような人間になりたいものである。

私は、正直言って正反対の人間だ。打っても打っても響かない。話を振られてもセリフを思いつく頃にはもう話題が移っている。頭の回転が遅いのだろう。

舌が短いせいか滑舌も悪い。手術は必ずしゅじゅちゅになるし、好きな映画監督のカーペンター監督ですらきちんと言えない。え? カーフェンパー監督? そんな監督いましたっけなどと言われる。ゆえにしゃべることに消極的になる。舌が短いという身体的な欠点が、さらに精神的な欠点となったサンプルが私だ。

さて、この間、一太郎2019を購入した記事を書いた。

もの書き用に特化したワープロソフトなどと言われている。私も売文業を営む人間であり、30年以上にわたって一太郎を購入してきた。確かに至れり尽くせりのソフトである。

だが、あなた。

私は、一太郎を全然使っていないのである。正月になると当たり前のように神社に参拝して賽銭を投げる人のように、毎年一太郎のバージョンアップの季節になると金を振り込んで新しい一太郎を手に入れる。そして、パソコンにインストールして、やれやれ今年もいい年でありますようにと柏手を打つのだ。

これじゃあいかん、と私は思いましたよ。缶コーヒーを買うことさえためらう私が、なぜ、使いもしないワープロソフトに大枚をはたくのか。おかしいでしょうがーっ、と思わず私は自分に対して怒鳴ったのです。

一太郎を使おう。いや、使うべきだ。いやいやいや、私は一太郎を使わねばならない宿命なのである、と心に固く決意した。

で、テキストエディタMery」で書いていた400字詰め原稿用紙に換算すると100枚くらいの文章をコピペしたわけです。この間買ったばかりの一太郎2019に。この作品は、一太郎で書き続けるのだという決意を胸に抱いて。

そしたら、あなた。

作業中、しょっちゅうマウスカーソルが青い輪っかになってクルクル回っとるのです。しばらくすると文書名の後ろに(応答なし)という文字が出よるのですよ。なんなんですかーっ!?

確かに私のパソコンが搭載しているCore i5は、最新のものではない。メモリーも節約して8GBしか積んでない。だからと言って、青い輪っかをクルクル回されるほど、私は落ちぶれてはおりませんぞーっ。馬鹿にするかーっ。

念のために、他のソフトでも試してみた。短絡的に「一太郎が悪い」と断定するのは、愚かなクレーマーのすることだ。私は、しっかり検証することのできる人間である。

文筆業者や学者に人気のアウトラインプロセッサ「Scrivener」、それよりもシンプルで使いやすい「NanaTerry」、にっくきマイクロソフト帝国のWordでも試してみたのだ。だが、青い輪っかが出て(応答なし)になるのは、一太郎2019だけなのだ。これは、仕様なのか? いやいやいや、さすがにこんな重い状態で製品として販売するとは思えない。

ビジネスではなく、もの書き用という極めて狭いターゲットを狙うこと自体、「あれ、ジャストシステム、ちょっとおかしいんじゃないの」と思ったのだが、さすがに未完成品を発売するほどおかしい企業ではないだろう。

試しに、周りのゴテゴテした窓を全部消しても重いままである。エディタモードにしても変化はない。というか、このエディタモードは、本当のエディタではなく、単に「エディタ的な見た目」にしただけのモードなのではないか?

こうなると可能性があるのは、私の一太郎2019が、とりわけ出来の悪い一太郎2019だったということだけである。物を買った場合、たまに「外れ」があるが、それと同じことが起こったのだ。

待てよ。そう言えば、同じジャストシステムが出しているグラフィックソフトの「花子」も、同じように途中で動かなくなることがあるな。データが重くなると、操作性も極端に重くなるのだ。と言うことは、私の一太郎も花子も、どちらも出来が悪い子だったというのか!?

ああ、なんたるアンラッキーか。

出来の悪い子ほど可愛いと言うが、ワープロソフトの場合は可愛くもなんともない。イライラするだけである。青い輪っかが回っている間に、せっかくリズムに乗って書いていたモチベーションが崩れ、作品が台無しになるのだ。

いや、待てよ。

もしかすると、「このジジイ、打っても打っても響かへん反応が鈍い人間やから、わしらもテキパキ動かんでもええやろ」とでも思っているのか。完全に舐められているのである。思わず、ふざけるなあ、お前なんぞワシの子ではないっ、と叫びたくなる。

一太郎2019が、また、(応答なし)になった。青い輪っかが私を馬鹿にするようにくるくると回り続ける。私の顔から表情が消えた。

「お前はな」と私は画面の一太郎に向かって言う。「橋の下で拾った子供だったのだよ」

そして、私は、一太郎2019を終了させた。

 

 

 

ネットニュースの有料化が広がり、私は、タダで読めるサイトを探しに巡礼の旅に出た。

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最近は、朝日捏造新聞や毎日変態新聞も、ネットのニュースが有料になっている。さわりの部分だけ読ませておいて、「これ以上読みたいんやったら、ゼニ払わんかい」という訳だ。

これは、一部のエロサイトと同じ手法である。「どや、このおっぱい。エロいやろ。これ以上見たかったら、ゼニ払わんかい」「どや、このグレーのスパッツ。エロいやろ。これ以上見たかったらゼニ払わんかい」「どや、この金玉(以下略)

読売新聞や産経新聞も同じであり、まあ、これは流れとしては仕方がないと言えるだろう。「情報収集はネットで十分。スマホ代が高いし、新聞代なんて払ってられるかい」と新聞を購読している人がどんどん減っているのである。

私としても各新聞社の気持ちはよく分かるのだが、なにしろ、私も貧乏だ。紙の新聞は、一応、朝日捏造新聞を購読しているのだが、やはりまともな新聞の記事も読んでみたい。特に、読売新聞の見出しの付け方は好きで、結構、興味を引かれて読んでいた。

今日も、「小学校門扉倒れ、女性下敷き…さびで一部破損か」という見出しにつられて読みに行ったら、「読者会員限定です」となっていた。読売新聞の場合は、限定記事に付いている南京錠のマークが薄いグレーで認識しづらいのである。

「どこの小学校ですかーっ」「女性は、無事だったんですかーっ」という私の疑問に、読売新聞のサイトは何も答えてくれないのだ。消化不良も甚だしい。

で、無料ですべての記事を読ませてくれるサイトを探してみた。

例えばYahoo!とか楽天とかのニュースサイトやスマホ用のニュースアプリもあるのだが、あれは各新聞社のごった煮状態である。私は、例え捏造であっても、捏造を貫く朝日捏造新聞を読みたいのだ。情報の定点観測だ。そうしてこそ、その新聞社の本当の姿を見ることができるのである。

NHKは全部読めるみたいだが、文体がですます調である。ちょっとアホっぽいので却下だ。

トンチンカンな質問で有名な望月衣塑子記者がいる東京新聞はどうか? どうやらただで読めるみたいである。「被災地へレディー・ゴー 警視庁警備犬、初のメス」という見出しがあって、どうせ「初のメス? 警視庁も女性差別だ!」などと書いてあるのかと思ったら、普通の記事だった。

WTO逆転敗訴 風評被害を広げぬよう」という社説でも、どうせ「日本、負けた。韓国、勝った。やーいやーい悔しいのお」みたいな記事を想像していたのだが、至って普通。「福島県産などの水産物輸入禁止をめぐる韓国との貿易紛争で日本は敗訴した。残念だが、食の安全で消費者の関心は国を問わず極めて高い。ねばり強い対応で規制撤廃風評被害の払拭を進めたい」などと書いている。

これでは、他の新聞と変わらないのである。東京新聞としてのアイデンティティはどこにあるのか。望月衣塑子記者を出せっ、と言いたい。

地方新聞は、まだ無料で読めるケースが多いようだ。私は神戸生まれなのだが、神戸新聞も候補にあげておこう。トップ画面の記事に「電車内で女子大生の尻触る 逮捕の男、2月の被害届で浮上」などと興味深い記事が載っていた。さらにその下には「阪急電車が5キロ速度超過 匿名投書で発覚」という記事があり、こちらも興味深い。

「梁瀬中女子バスケ部、保護者が体罰 部員が不登校に」という記事もあり、これはバスケ部の練習中に保護者が生徒を平手打ちした事件だ。当初その保護者は「ふがいないプレーをしていたので活を入れただけ」「体罰ではなく、叱咤激励の行為だった」などとふざけたことを言っていたらしい。中学校の実名を出し、さらに生徒のメモの写真も掲載している。なかなか気合いが入っているのだ。

とりあえず、これからのニュースサイトのメインは、神戸新聞で行こうかと思う。

それにしても、読売新聞に載っていた門扉の下敷きになった女性は、その後どうなったのだろう。軽傷で済んだことを祈りたい。

 

 

ノートルダム大聖堂の炎上に結構ショックを受ける。そして、法隆寺は大丈夫なのか!?

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ノートルダム大聖堂が焼けた。焼き芋が焼けたのとは訳が違う。

正直、私はどちらかというとフランスは嫌いな国だし、フランス語を聞くと「拙者を馬鹿にするか~っ」と腹が立つし、そもそもフランスは対岸どころか遠い彼方の国である。

対岸の火事だから野次馬的に面白がっていればいいのだが、それでも、ノートルダム大聖堂という、野球で言えばイチロー、将棋で言えば羽生善治的な存在が焼けたというのは、これは私としてもショックだった。映像を見た瞬間、「取り返しつかへんやんけ」と怒りにも似た感情がわき上がった。

さらにショックだったのは、朝日捏造新聞の記事に、ある識者が「日本で言えば法隆寺が焼けたというのに匹敵する」などと書いてあって、それを読んだ瞬間、「えーっと、法隆寺ってどんなんだっけ?」と思い出そうとしたのだが、これっぽっちもイメージが沸かなかったことだ。

で、ネットで確認したのだが、どうもピンとこない。ただ、「中門金剛力士像」には見覚えがあって、確か写真も撮った。行ったことがあるのは確かである。この像や五重塔が焼けたのと同じか、などと写真を見ながら思ったのだが、やはりピンとこない。

どう考えても、ノートルダム大聖堂の方が精神的ショックが大きい気がするのだ。これは、いったい何なのか?

ノートルダム大聖堂が完成したのが1225年。法隆寺は607年である。歴史的には、法隆寺の方が古い。だが、「ノートルダム大聖堂法隆寺、好きな方をお前にやる」と言われたら、私はためらうことなくノートルダム大聖堂を選ぶのだ。

私の、ノートルダム大聖堂に対するこの気持ちは、いったい何なのか。行ったこともないのに、なぜ、こんな贔屓をしてしまうのか。

フランスなんて筋金入りの差別主義国家だし、アジア人を猿扱いしているし、私が知っている言葉「コマンタレブー」にしても、どう考えても「ちびまる子ちゃん」のブー太郎のセリフではないか。

そう言えば、以前、ある教会に入った時、私はその場の雰囲気に思わず帽子を脱いだことがあった。ハゲているにも関わらず、だ。私の中にある何かがそうさせたのだ。

日本の寺や神社に、そういうものを感じたことはない。むしろ、「信仰心を生むために、こんな大層な建造物やら像を造ったのか。ご苦労なことである」とむしろ馬鹿にしていた。

キリスト教も人心をつかむために荘厳な建造物を造ったのは同じだろう。ノートルダム大聖堂だって、そのはずである。だが、私は、ノートルダム大聖堂や教会には畏敬の念を抱き、法隆寺にはそれを感じなかったのだ。

もちろん私は、キリスト教徒ではない。頭はハゲているが、別にフランシスコ・ザビエルの真似をしているのではなく、真性のハゲである。そもそもフランシスコ・ザビエルのハゲはトンスラという髪型であり、さらに本当にあんな髪型だったのかすら疑問視されているのだ。

私の文化基準や美的感覚が、そして畏敬の念を感じる心が、いつの間にか西欧化していたとでも言うのだろうか。そう言えば、私は、羊羹よりもケーキ派であり、邦画よりも洋画、明智小五郎よりもシャーロック・ホームズが好きではないか。ああ、ご先祖様に申し訳ない。

ちなみに法隆寺は、昭和24年に火災が起こり、国宝の壁画などが焼損したことがある。現在、防火設備は万全のようだが、いつ何時ノートルダム大聖堂のような悲劇に見舞われるとも限らない。

今度の連休に、法隆寺に行ってみようかと思う。