だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

相棒 シーズン16 第9話「目撃しない女」の相貌失認の症状に、そうそうその通り!と100回くらい頷く。

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「相棒」はずっと見ている。

理路整然が好きだから、杉下右京も好きなのだ。その理路整然が崩れて、「恥を知りなさい」と頬をプルプル震わせて押し殺した声で叫ぶのも好きである。

昨日見た「目撃しない女」は、タイトルが洒落ている。

相貌失認という、人の顔を判別できない女性が主人公で、だから「目撃しない女」なのだ。犯人と顔を突き合わせ、さらにその犯人が目の前に現れても犯人だと認識できないのだ。

ドラマ内では「少なくとも人口の2%が相貌失認」と説明していた。症状の軽い人や自覚症状のない人を含めれば、もっとパーセンテージは上がるだろう。

実は、何を隠そう私もその一人である。昔から、人の顔が覚えられない。

「やあ、山田くん」などと声をかけたら、竹本くんだったりする。子供の頃なら問題ないのだが、社会人としては少々問題ありである。

「おはよう。山ノ内くん」などと派遣社員に声をかけて、実は大木戸社長だったなどとなれば、これはボーナスの査定にも響くのだ。実は、それに近い失態を何度か経験済みである。

私の場合、「ハゲているかいないか」「長髪か短髪か」「黒髪か白髪か茶髪か」「背は高いか低いか」「太っているか痩せているか」などの身体的特徴のほか、服装、メガネなどの装飾品で判別することが多い。

従って、ハゲで背が低く太っている人なら、「あ、城之内くんじゃないですか。御機嫌よう」と一目瞭然である。チビデブハゲ、万歳! 私はハゲのみクリアしているので、いずれチビとデブも身につけようと思っている。

「目撃しない女」役をやったのは朝倉あきさんで、なかなか可愛い人だと思うのだが、こういう人ほど判別しにくいというのが私の症例である。皮肉なものだ。ドラマ内ではタコスの販売をやっているのだが、制服は特徴的でいいのだが、私服になるとわからなくなる。

好きな女優を聞かれると、いつも「ルーシー・リュー」と答えるのだが、あの人の顔ならすぐにわかるというのがポイントである。典型的な若い美人は判別しにくい。日本人でわかりやすい女優は片桐はいりさんや樹木希林さん、比較的若い人なら広末涼子さんくらいである。それでも「んー、この女優は広末涼子だよなあ」というあやふやな認識だ。

以前記事にも書いたのだが、「柘榴坂の仇討」など着物を着ているせいもあって、最後まで広末涼子だと確信できなかったのである。

さて、名前を間違えるのは人付き合いにおいて致命的なのだが、ここまで読んだ人のために、とっておきの話術をお教えする。秘術と言っても過言ではない。

例えば、向こうから佐藤くんがやってきた。相手もこちらを認識してニコッとする。うん、間違いない。佐藤くんだ。だが、ちょっと待った。ここで「やあ、佐藤くん」と声をかけるのは失敗の元だ。何しろ、相貌失認なんだから。

不安がある場合は、こう言えばいいのである。

「やあ、佐藤くんみたいな人」

仮にその人が戸田くんだったとしても、「みたいな人」と言っているのだから、間違いではない。佐藤くんみたいだったけど戸田くんだった、というのは言うまでもなく「セーフ!」である。この話術で、私は何度も危機を乗り越えた。あなたも遠慮なくお使いいただきたい。

ちなみにドラマでは、その女の子は「物覚えが悪い」と家族にも叱咤され、不仲になり、劣等感が強まったために人との付き合いにも前向きになれないでいた。

ラスト、杉下右京の相棒 冠城亘が自分を犠牲にして彼女を救うのだが、それをきっかけに、冠城の顔だけは判別できるようになったという展開だった。強烈な印象下で、彼の顔が刷り込まれたのだろう。何となく将来二人が付き合うような含みを持たせてドラマは終わる。

めでたしめでたしだ。

相貌失認という症状を知っていただくきっかけにもなったろうし、その意味でもいいドラマだった。皆さんも、ぜひ、眉毛をものすごく太く書くとか、赤いフレームのメガネをかけるとか、髪型をモヒカン刈りにするとか、「相貌失認の人でも判別しやすい顔」にしていただきたい。

そうそう。額に名前を書いておくのもおすすめなのだ。それなら間違える心配はまったくないのである。

 

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「図書館での文庫本の貸出はやめて」発言の愚。図書館の有料化こそが唯一の解決策である。

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以前、「図書館の魔女」を紹介した。図書館で借りた本だ。上下巻を揃えれば、5,200円を超える。もちろん、この作品の価値は、それよりも高い。著者の高田大介氏が目の前にいれば、「面白かったよ」と100万円くらい渡すところだ。

だが、私は図書館で借りた。つまりタダである。これほど面白い本をタダ読みなのだ。著者の高田大介氏には、私が借り出したことで1円も入らないのである。千人借りても同じである。

いやいやいや、それはおかしいんじゃないの?

私のうろ覚えな記憶が確かなら、図書館とは、まだ本が高価であった頃。モノによっては、家一軒が建つほど高価であった頃、専門家や有力者たちが読むために生まれた施設だったと記憶している。それぞれの本は鎖でつながれ、庶民は入館することすらできなかったと聞く。

まあ、当時は印刷技術などなく、本はすべて写本。つまり、人が写して書かれたものだった。一冊仕上げるのに膨大な時間がかかったのである。

庶民を入館させれば、鼻くそをくっつけたり、みかんを剥いた手でページをめくって汚したり、「犯人はこいつ」と落書きしたりするに違いなく、排除されて当然だ。

当時の図書館は、おそらく入会費300万円、一冊借りるのに5万円くらいかかったのではないか。図書館、ボロ儲けである。一番なりたい職業は、司書だったに違いない。

日本でも本があふれるようになったのは比較的最近のことで、かつては本は貴重品だった。私も子供の頃、何の気なしに床に置かれた本をまたいだら、「それは夏目漱石の『文學論』の初版本である! またぐとは何事か! お詫びしなさい!」と父親に叱られ、本に向かって土下座謝罪したことがある。

私は子供の頃からSF小説が大好きだったのだが、何しろ出版点数が少ない。早く読んでは次に読む本がなくなる。対策としてはゆっくり読むか繰り返し読むかしかなく、私は、繰り返し読む派になり、ブラッドベリの「太陽の黄金の林檎」など300回読んだ。

……また、関係のない話を長々としてしまった。年を取ると、オシッコも話も長くなる。困ったものである。

つまり、図書館は、有料化した方がいいんじゃないかという話だ。

少し前に文藝春秋の松井社長が「図書館での文庫本の貸出はやめて」という発言したことがあった。文庫本を貸し出す図書館が増え、現在の文庫市場低迷につながっているのではないかという主張である。

わかりやすく言うと、「文庫本は安い」「だから、図書館に置かなければ買ってくれる」という考えのようだ。「図書館に置くのは、高価でお客さんが敬遠しがちなハードカバーだけにしてくださいよ」と泣き言を言っているのである。

いやあ、甘いですな。甘すぎる。

図書館に文庫本を置かなくなれば、利用者は文庫本を借りなくなるだけだ。本屋に行って買うと考えているのなら、それは庶民の実態を知らないのである。「あの本、置いてないのか。だったら買うしかないな」と考えるような人は、ごく少数だろう。「ないなら仕方がないな。読まなくていいや」というのが庶民の大多数である。

さらには、文庫本は高くなった。ちょっと分厚いと軽々と千円を超える。上下巻ならハードカバーと変わらない値段である。本末転倒だ。買ってほしいのなら、せめて500円を上限にしろと言いたい。

売りたいのなら、買いたいと思える本を出せばいいのだ。

もちろん、図書館側にも非はある。そもそも現在の図書館には、志やら理想がない。「タダで本を貸してくれる貸本屋」に成り下がっている。

かつての日本なら、図書館の存在は必要だったと思う。本が高価で、何より市場が狭く流通も貧弱で出版点数も少ない。国民の文化レベルを上げるためにも、図書館は重要な役割を果たしたはずだ。

だが、今は、本は無数にある。もちろん、スタージョンの法則どおり、その90%はカスである。いや、99.97%はカスであると言っても過言ではない。駄本が多すぎる。駄本が増えすぎて、むしろ日本の文化レベルは落ちているほどだ。

その意味でも、図書館は有料化すべきだ。

少なくとも年会費1,000円くらいは徴収すべきである。それを出版社や著者に分配すればいい。できれば一冊借りるごとに10円支払っていただきたい。10人借りれば、著者にとっては一冊分の印税にほぼ足りる。

「私たちの読む権利を奪うのか!?」などとリベラルな人たちが文句を言うだろうが、そんな連中は放っておけばよろしい。読書は娯楽だ。娯楽に金を使わない連中を、私は認めない。

また、図書館が有料になれば、図書館の意識も変わるという利点がある。各図書館の間で、競争が生まれるのである。

ただ売れただけのベストセラーを置いて回転させるのではなく、その図書館ならではのチョイスで勝負する。「あの司書はすごい」と言った専門性で勝負する。

「うちは、入会金はヨソよりも高いですが、揃えている本がすごいんです」とアピールする図書館も出てくるだろう。キャバクラやホストクラブ的な図書館といった、新たな形態が生まれるかもしれない。

図書館の前を通ると、「社長はん社長はん、ええ本入りましたで」と客引きが声をかけてくる。「あのノーベル賞作家が、うちの図書館限定で作った本ですねん。ちょうど返却されたとこですわ。どないでっか?」

ワクワクするではないか。そんな図書館が生まれることを、私は待っている。

 

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