だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

鈍感のゆくえ

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年を取って、「変わったな」と思うことがいくつかある。

午後二時をすぎると、目がかすんでくる。夜中の一時過ぎに尿意で目が覚める。足の小指を家具でぶつけても、若い頃なら「痛っ」と顔をしかめ、自分のミスに腹を立てたりしたのだが、今は何とも感じない。

痛いには痛いのだが、それが怒りに届かない。

考えてみれば、寒さにも鈍感になっている。

若い頃は、冬の朝は起きるのが大変だった。タイマーで暖房を付けておき、十分に部屋が暖まってからようやくふとんからはい出したのだ。

今は、寒さも平気だ。ふとんからサッと起き出し、寒い部屋の中、普通に服を着替える。「よしっ」という気合いも思い切りも必要ない。

痛みや寒さに対して鈍感になっているのだろう。刺激に対して鈍感になっていると言ってもいい。

そう言えば、映画や小説から受ける心の動きも小さくなったように感じる。子供の頃「猿の惑星(1968)」を見て、衝撃のラストに「地球だったのかっ」とテレビをつかんでゆさぶったのだが、今は「ミスト」のあの衝撃にもさほど心は動かない。

「あ~あ」と小さくため息をつき、「決断をちょっと早まったよなあ」とつぶやく程度である。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をこの間見返したのだが、再見とはいえまるでこたえなかった。

今なら「火垂るの墓」だって平気で見られるような気がする。

今、気がついたのだが、夜寝る時の姿勢と、朝起きた時の姿勢が同じなのだ。ふとんもほとんど乱れていない。

もしかすると、寝返りをうっていないのではないか。子供の頃は、ごろごろ転がって、いつも朝起きると隣の部屋にいた。ピアノの下が私の起床場所だったのだ。

寝相がよくなったと喜んではいられない。生命力が落ちてきているのだ。きっと死にかけているのだと思う。

さすがにまだ死にたくはないので、今日は、寝ている途中でゴロゴロ転がって、階段も転げ落ち、朝起きたら、キッチンのテーブルの下で寝ていたという状況を目指したいと思う。

 

 

 

 

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