だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

ノーベル平和賞のICAN、調子に乗ってさっそく日本を非難する。

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日本死ね」のユーキャンなら知っていたが、アイキャンは知らなかった。

知らない団体がノーベル平和賞を受賞しても、なんとなくスッキリしない。肛門内にまだウンコが残っているのに出てこない。そんな気分になるのである。まあ、ノーベル平和賞はいつもそうなのだが。

日本共産党志位和夫さんがさっそく「ICAN(アイキャン)のノーベル平和賞受賞を歓迎します」などと打ち上げていて、余計に胡散臭さが大きくなった。しかも、「私は今年3月、ICANのベアトリス・フィン事務局長らと懇談し」などと自慢している。なんとなくスッキリしないどころではなく、明らかに今そこにあるはずの巨大なウンコが出てこない気分である。

もちろん核兵器はない方がいい。

ない方がいいのだが、そういう運動をやっている団体に対しては、自分のどこかに嫌悪する気持ちがある。これは、不幸なことだ。おそらくSEALsなどの日本のサヨク系の人たちの活動や、ピースボートグリーンピースなどのエコ・テロリストのイメージがそうさせるのだろう。

平和を訴える連中には気をつけろ、と私の内の何かが語りかけるのである。

平和を訴えながら自分たちと異なる意見を持つ人達を汚い言葉で非難し、中指をおっ立て、時には暴力も振るう。それが左翼と呼ばれる人の実態である。昔から内ゲバ、リンチは日常茶飯事。平和を愛するあまり、暴力的になってしまった気の毒な人たちだ。

ICANという組織が、そうでないことを祈るばかりである。

さて、ICANにとっては、ノーベル平和賞は大きな追い風だ。これ以上はない風である。だが、人間にしても企業にしても、調子に乗ったときが一番危ない。それは、こういうNGO団体にも同じことが言えるだろう。

さっそく、日本政府が条約に署名・批准しない場合、「70年以上にわたって休むことなく核廃絶に取り組んできた被爆者への裏切りになる」と批判してきた。

日本は、アメリカの核兵器に守られている一面がある以上、簡単に「はいはい。核兵器廃絶賛成。核兵器禁止条約に参加しま~す」とは言えないのは理解できる。先程も書いたように核兵器はないほうがいいに決まっている。

だが、核兵器がなくなったとき、世界情勢がどうなるかは誰にも分からない。

例えば、アベ自民一強が崩れたあと、日本はどうなるのか? 民主党が政権奪取した時のように、大混乱に陥るのではないか? そう考えれば、希望の党立憲民主党に、日本を任せることはとても出来ないのである。

また、原子力発電所をなくしたあと、日本はどうなるのか? 事故の危険性を考えれば、当然、原子力発電所などない方がいい。そうに決まっている。だが、日本の経済はどうなるのか? 経済が落ち込んで貧乏国になって、インフラはズタボロになり、犯罪が横行し、飢えに苦しむ人が出ても、「まあ、原発があるよりはええんとちゃうの」と言えるのか。

大切なのは、その後のビジョンである。

ICANには、核兵器がなくなったあとの世界のビジョンを見せていただきたい。世界のパワーバランスはどうなるのか? それによって紛争はどう変化するのか? また、核兵器と同様、通常兵器による戦争も悲惨で、今この時にも、その犠牲者が出続けている。通常兵器に対する取り組みは、どうしていくのか?

聞きたいことはたくさんある。

ちなみに上で使ったICANの写真とキャッチフレーズであるが、これは私は嫌いだ。

「路上の子どもたちは、アイキャンだけにみせる表情がある」

このフレーズからは、「私たちは、いいことをやっている。正義は我にあり」という思い上がりが感じられる。しかも、てにをはがまともではない。「アイキャンだけに」というのは驕りであり、そうした思い上がりは、やがて独善につながる。

せめて、「路上の子どもたちが、アイキャンに見せてくれる表情がある」くらいにしておけよ、と思う。もしくは、シンプルに「路上の子どもたちに、もっと笑顔を」とか。

ノーベル平和賞を受賞しても、これまでと同様の活動を淡々と続ける。それができれば大したものだが……。それができる人や団体は、極めて少ない。1991年にノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チーさんだって、今、ロヒンギャ難民の迫害で世界的に非難されている。

思い上がりは、ある意味、核兵器よりも怖いのだよ。