だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

「成人式」というよりも「二十七五三参り」か。そして、昔々、成人の日に私は。

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まるで理解できないのが、成人の日である。

若い頃からそうで、当然、私は成人式には出席していない。確かその日は、筒井康隆の「脱走と追跡のサンバ」の172ページ、主人公が血相を変えて一路自我町六丁目にある井戸時計店へ向かっているあたりから読みはじめ、夕方くらいには読み終えたはずである。有意義な一日だった。

成人式に行く理由として、友達に会えるからという人もいるようだが、私は「会いたい人にはいつでも会うし、成人式でしか会えない人には別に会わなくてもいい」派である。行く理由にはならないのだ。

昔から疑問だった。なぜ、成人の日があるのか。なぜ、成人式に行きたがるのか。おそらく当時からちょっとズレた人間だったのだろう。

まあ、今の成人式は多少の工夫があるようで、会場が豪華だったり娯楽性もあったりする。楽しそうだから行くというのもアリなのかもしれない。

私の頃には、ショボい会場に出かけて、確か国語辞典とか紅白饅頭とかをもらうのだった。そして、市長やら議員やらのつまらん話を聞くのである。まだ学生運動の尻尾が残っている頃で、日頃は「大人は汚い」「この権力の走狗が!」などと言っている男が、喜々として成人式に出かけていくのを見て、私は驚いたものである。「やっぱりこいつはアホだったか。もう、年賀状を出すのはやめよう」

今の成人式は、もう「式」というよりも「ファッションショー」である。女性のほぼ全員が着物で、男はスーツか着物。もう、七五三参りとかわらないのだ。「成人式」ではなく「二十七五三参り」とでもした方がいいのではないか。

あの着飾った姿をニュースで見るたびに、私は首を傾げる。

成人式と言いながら、その着飾り方は成人とは逆の行為なのではないか。精神の幼さが現れているような気がするのである。大人になることと、着飾ることの整合性が見えないのだ。まあ、着飾った中で、一人、今の身の丈にあった普段着で出席するのは勇気がいることなのだろう。そういうまっすぐに立てる成人が増えることを私は願っている。

幼さの顕著な例が、沖縄や九州などの一部の地域で見られる成人式だ。先程、横浜の成人式で着飾った成人が警備員に取り押さえられているニュースを見たから、地方だけの傾向ではないのだろう。

紫やら金色の羽織袴で着飾り、不細工な改造車で乗り付ける。祝辞の途中で酒を飲んで騒ぐ。彼らほど成人式が似合わない人間はいない。まさに七五三参りと同じ年齢層のバカなのだ。いや、近頃の七歳は、もっと賢い。

反社会的行為を繰り返しながら、市が主催する成人式には出席するという、もう何が何だか分からない自己顕示欲が肥大化した存在が彼らなのだ。成人式に出る代わりに、警察署の周辺を暴走するというのなら、その行為はまだ理解できるのだが……。もっと反社会性に徹底しろと思う。結局彼らにとっての羽織袴や改造車は、ファッションでしかないのだろう。

日本の夜明けは、まだまだ遠い。

成人の日、今は雨が降っている。今日の私は、PCで音楽を流しながら、相変わらず筒井康隆の「脱走と追跡のサンバ」を読んでいる。成長がないこと甚だしいのだが、好きなんだから仕方がない。

ちなみに今流れているBGMは、橋本潮「少年色のメルヘン」である。今から30年ほど前に放送されていた「おもいっきり探偵団覇悪怒組」のエンディングテーマだ。この曲も、若い頃から聞き続けている。

まるで成長がない。もしかして、アホなのではないかと自分でも思う。


中島愛(めぐみ)が少年色のメルヘンを踊ってみた