だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

「スーパーガール」この実にイヤらしい(別の意味でも)海外ドラマに憤慨する。

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私は、脳天気が嫌いである。

人間やはり陰鬱が一番。カリフォルニアの青い空よりも、ロンドンの陰鬱な空と先の見通せない霧がいい。ちびまる子ちゃんで言えば、脳天気な山田よりも、卑怯な藤木や皮肉屋の永沢君の方が好ましいのだ。

今、見ている海外ドラマで一番脳天気でアメリカらしいのは「スーパーガール」である。スーパーガール自体がうっとうしい性格で脳天気丸出しだしだ。見ていて実にイライラする。

吹き替え版だと幼稚さがあらわになり、さらにイライラがつのる。字幕版だとワンクッション置くせいか子供っぽさが和らぐのだが、私はあえて吹き替えで見る。これも修行である。

まあ、ウツ状態のスーパーガールなど設定に無理があるので、脳天気でいいのだが。そもそもアメリカから脳天気さを取れば、それは単なるバカであり、完全な世界の迷惑者となるのだ。脳天気さに救われていると言っても過言ではない。

だが、あなた。

最近のスーパーガールには、脳天気さだけではなく、さらにうっとうしい要素がある。LGBTを意識しすぎたキャラクターの設定と展開だ。

アメリカという国は、着物を着ただけで「日本の文化の盗用だ」などと言い立てるイヤらしい方向の正義感を持った連中が多いらしく、日本で言えばサヨク系の人が目に付くのである。特にテレビ界には大勢いるのだろう。そのうち、お気に入りのアイドルのファッションを真似をするだけで「アイデンティティの盗用だ」などと言い出すのではないか。

グラミー賞におけるヒラリー・クリントン婆さんの馬鹿げたパフォーマンスなどその最たるものだろう。あれが通ってしまうのがアメリカなのだ。

さて、スーパーガールには、血のつながらない姉がいるのだが、彼女がLGBTである。

仕事で知りあった女刑事を好きになり、すったもんだの末に付き合いだすのだが、その展開が実にうっとうしい。テレビ屋さんの「私たち、性的マイノリティにも配慮しているでしょ」と言わんばかりの展開と演出である。

何というか、わざとらしいのだ。性的マイノリティのマイノリティの部分を強調しすぎなのである。それがテーマのドラマではないんだから、もっと普通に描けよと思う。

くっついたり離れたり、有頂天になったり落ち込んだり、それも結局は性欲に振り回されているという状態なわけで、他人のそんな姿を見せつけられても面白くともなんともないのだ。特に私のように性欲の少ない人間には、まったく理解できない展開である。

さらにスーパーガール自身が恋する乙女状態で、くっついたり離れたり、有頂天になったり落ち込んだり、もう見ていられないのだ。

弱者に配慮するのはいいのだが、その配慮のしかたが自然ではない。弱者に優しい私って素敵という酔いが透けて見える。いつからアメリカは、こんなイヤらしい国になってしまったのか。

さらに最近では、メンバーの一人が異星人の女と恋仲になったりして、いったいいくつの恋愛話が進行しているのかわからなくなるのだ。そう言えば、「シカゴファイア」という消防署を舞台としたドラマでも、署内でセックスするわ仕事よりも恋愛を優先するわで見ていて憤慨してばかりなのだ。

アメリカ人というのは、脳天気かつ無類の助平であることは間違いないと思う。実に怪しからん国だと思うのだが、まあ、面白いくはある。