だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

そや、過去に戻ってケネディ大統領の暗殺を阻止したろ。スティーヴン・キング「11/22/63」

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ケチのくせに図書館で借りるのが苦手である。

本が汚いせいもあるが、何より「へへへ、タダで借りれて得したな」などとほくそ笑む一面があることは確かで、そんな自分を直視するのがイヤなのだ。

特に作者が日本人だと、図書館で借りるのはためらわれる。著者には一円も入らないのだ。夏目漱石などの死んだ作家なら罪悪感はないが、筒井康隆さんなどのすぐに顔が浮かび上がる作家の場合は、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。筒井さんなら金持ちだからまだいいのだが、さほど売れてない作家の場合は、「今度すれ違うことがあったら缶コーヒーくらいおごりますから」と手を合わせて借りているのだ

本が貴重品で、国民がみんな貧しかった時代ならいざ知らず、そろそろ図書館も有料制にしろよと思うのである。せめて、著者に対する還元はせよと言いたい。

日本の作家に比べて、海外の作家はまだ気楽である。

特に、世界的なベストセラー作家なら、まさか「お前、ワシの本、図書館で借りよったな。一円も払わんと、ワシの本読みよったな」などと非難してくることはあり得ないのだ。

スティーヴン・キングのような大ベストセラー作家ならなおさらである。いくら稼いでいるのか知らないが、「上下巻で、印税は缶コーヒー4本分や。そこの自販機でおごってもらおか」などとは言わないはずである。

さて、そんなわけでスティーヴン・キングの「11/22/63」の上下巻を図書館で借りて読んだ。いやあ、ぶ厚いのなんの。私は、長い小説を書けるというだけで尊敬してしまうのだが、スティーヴン・キングは、その中でも突出して尊敬する作家である。

「11/22/63」は、よくあるタイムトラベルものだ。たまたま1958年に戻れる方法を知った男が、63年11月22日に起こるケネディ大統領の暗殺を阻止しようとするストーリーである。

いくつかのルールがあって、過去で何年暮らしても、現代に戻ると2分しか経っていないというのが一つ。例えば、10年過去で過ごしても、現代に戻ればたった2分後である。これがどういうことかというと、わずか2分で、他の人からすると10年分歳をとったということなのだ。

「あれえ、昨日会った時よりえらい老けたやんけ。頭はげてるし」」と驚かれてしまうのである。

そしてもう一つ、過去へ行くと、前回のタイムスリップで実行した過去の改編はリセットされるというルールがある。うまく行かなければ、何回でもやり直すことができるのだ。だが、過去で過ごした時間は確実に自分に蓄積され加齢につながる。

まあ、加齢についてはさほど大きな問題としては扱われていない。私みたいなお肌の衰えを気にする爺さんにとっては大きな問題だが、この作品の大きな問題は、いかにしてケネディ大統領の暗殺を防ぐかという点にある。

だが、あなた。実はもっと大きな問題があって、それはもちろん「愛」の問題なのだ。愛を出さなければ、映像化しても盛り上がりに欠けるのである。スティーヴン・キングが愛を書かないわけがない。

主人公は、過去に戻って当然のごとく素敵な女性と出会い、愛を育むのだが、目的を達成する過程で大きな悲劇に巻き込まれてしまう。

さあ、どうするか?

ラストは、実に感動的。ドラマ化されているようだが、このラストシーンは間違いなく泣きますな。

このストーリーの大事なところは、例えば大きな悲劇を未然に防げたとして、それが果たして最善の道なのかどうかという点にある。

例えば私だってある事故がなければ体質が激変することもなく、今も髪の毛がフサフサなままだった可能性はある。だが、ハゲたからこそ、今の自分があるわけだ。もしフサフサならば今頃女遊びに金を使いまくり、帝愛グループから金を借り、限定ジャンケンにも負けて地下施設で強制労働の毎日を送っている可能性だってある。

ハゲたせいで消極的になり、派手よりも地味、大胆よりも繊細、何事も控えめに生きたからこそ、今の自分があるわけだ。まあ、たいした自分ではないが。

そう考えると、ハゲたことも、まあ、良かったと言えないこともないような気がしないでもない。いやあ、いいのか悪いのか、どっちかわからんね。