だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

一番の文明の利器は何なのか?

三大発明というと、羅針盤・火薬・活版印刷術なのだが、今を生きる私からすると羅針盤は使ったことないし、火薬との接点もせいぜい花火程度だし、活版印刷は昔お世話になったが、今はもうデジタル製版に取って代わられた。

今、私が「ああ、あって良かった」とつくづく思うのは、なによりも自転車である。パソコンやネットも同等以上に便利だと思うのだが、あれはブラックボックスだ。いわば魔法である。仕組みがわからなければありがたみも薄れるのだ。

ウォシュレットもありがたい存在なのだが、まあ、なければトイレットペーパーを使えばいいわけで、自転車と比べると一段落ちる。

足でこぐだけで、歩いたり走ったりするよりもはるかにラクに速く移動できるというのは、これこそが文明の利器と言わずに何と言う。いつも感謝しながら乗っているのである。

考えてみれば、テレビに呆けている現代人よりも優秀だった江戸の人が、なぜ自転車を発明できなかったのか不思議で仕方がない。

確か、江戸時代には、船に3つの車輪をつけて陸を移動できるようにした乗り物が作られたと聞いたことがあるが、これは明らかに自転車ではない。

自転車は、二輪だから自転車である。自転車のコペルニクス的転回は、「二輪でもこけない」という点にある。普通に考えたら、「アホちゃうか。二輪やったらこけるに決まってるやんけ。三輪やないと無理無理」となるところを、二輪で完成させたところにある。

私だったら「やじろべえの原理を応用すれば、あるいは…」などと足りない脳みそを使い、自転車の左右に長い棒と重りを付けたりするのではないか。

江戸時代に「二輪ではこけるに決まっている」という常識を乗り越えることができなかったのは、仕方がないことだったのだろう。

ちなみに自転車が発明されたのは、1818年のことで、ペダルは付いておらず、地面を蹴って走っていた。日本では、文化5年のことで、間宮林蔵樺太を探検していた頃だ。

自転車を発明したのはドライジーネという飲み物みたいな名前の人なのだが、タイプライターの発明者としても知られている。ラクして移動したい。ラクして筆記したいという思いが人一倍強かったのだろう。

無類の怠け者だったに違いない。