だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

ウルトラセブンに変身できなかった男

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もはや随分と昔のことであるが、私にも学生時代があった。

当時私は一人の美少女と付き合っていたのだが、よく彼女の実家に上がり込んでいた。別に歓迎されていたわけではない。私はコミュ障だから、彼女の両親と会話を楽しんだりはできないし、そもそも他人の家は苦手である。

その家に特有のニオイを感じてしまい、自宅のように落ち着くことができないのだ。これはホテルや旅館でも同じであり、嗅覚が優れているのか神経過敏なのか、まあ、やっかいな性質である。

そんな私がなぜ彼女の実家に上がり込んでいたのか?

それは、デートが終わり彼女を家まで送っていく時間が、ちょうどウルトラセブンの放映時間と重なっていたからだ。彼女の門限までデートをしたいがウルトラセブンも見たい。だから、重い気持ちを抑えながらも「おじゃまします」と入り込み、彼女の部屋のテレビでウルトラセブンを見た。そして、いつしかそれが習慣になってしまったのである。

例え苦手な他人の家であろうと、その苦痛よりもウルトラセブンを見たいという気持ちが勝っていたのだ。私は、それほどウルトラセブンが好きだった。あの世界観が、あのメカが、あの宇宙人たちが好きだった。

さて、もっと過去のことであるが、私にも小学生だった時代があった。私がウルトラセブンと出会った頃だ。

ある日近所の女の子と遊んでいて、ふと気がつくとあたりはもう暗い。大変だ。ウルトラセブンを見逃してしまった。下半身から力が抜け、危うくオシッコを漏らすところだった。今でもあの未来が消え失せたような絶望的な感覚はよく覚えている。

あれほど楽しみにしていたのに。さほど楽しくもない女の子との遊びに呆けてしまい、大切なウルトラセブンを見逃してしまった。ああ、今日のウルトラセブンは気持ちの悪い頭でっかちの宇宙人が出てくるやつだったのに。ああ、もうダメだ。あの宇宙人とは一生出会えない。

打ちひしがれる私に、女の子は言った。

「見逃したのは残念だけど、どんなお話だったか想像すればいいのよ」

そして、「お花畑があってねぇ、そこを女の子が走り回ってるのよ」などと夢見るような口調で話しはじめた。「そこにね、ウサギさんが通りかかるの」

こいつは馬鹿か、と私は思った。

ウルトラセブンだと言っているのに、なぜ、お花畑にウサギなのか。そもそもウサギに「さん付け」とは何事か。ああ、いくら小学生とは言え、こんなに幼稚な人間だとは思わなかった。もう、こいつと遊ぶのはやめよう。こいつのせいでウルトラセブンを見逃したのだ。ああ、損こいた。もし、私にアイスラッガーがあれば、お前の首を胴体から切り離してやるのに。ああ、ウルトラアイがほしい。ウルトラセブンに変身して、お花畑とウサギさんを破壊してやりたいっ。

ウサギさんのお話を語り続ける彼女の声を聞きながら、私は心底そう願ったのだ。

そして、現在、私はジジイになった。

老い先は短く、希望はなく、頻尿で夜中に目が覚めるわクシャミをすれば腰が抜けるわ本を読んでいても3分でぼやけるわ、もう踏んだり蹴ったりの日々である。まさに地獄の三歩手前だ。夜中に目が覚めずに失禁するようになったら地獄の二歩手前であると覚悟している。脱糞するようになったら一歩手前だと考える。まあ、細かいことはいい。

ウルトラセブンになるはずが、いつの間にかジジイになった。

かつてはバイクを乗り回して少しだけウルトラセブンみたいな爽快感を感じていたが、今は視力と体力低下のせいでそれもできない。私は、最近湧いて出ている自己中ジジイとは違って、身体能力の衰えをしっかりと自覚しているのだ。

「アクセルとブレーキを踏み間違えた」などのふざけたセリフは決して言わないのであります。

しかし、まさか自分が、ジジイになっても相変わらずウルトラセブンを見ているとは想像もしていなかった。私の予定では、新設されたノーベル哲学賞を受賞し、多忙かつ充実した毎日を送っているはずだったのに。現実は、いまだにウルトラセブンスタートレックに浸る逃避と諦観に満ちた日々である。

いやあ、実に情けない。