だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

片岡義男の「珈琲が呼ぶ」を読みたいのだが、ソフトカバーなのに1,800円は少々お高いのではないか。と思ったら。

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片岡義男の本は、オシャレだ。

文体やテーマだけでなく、書籍としての存在感など、総合的に見ると日本の作家で一番オシャレなのではないか。格好つけたオシャレではなく、結構図太いオシャレなのだ。少なくとも軽薄ではない。

「ああ、片岡義男なんか好きです。たまに読んでますよ」と言っておけば大けがはしない。「あら、ちょっと知的でオシャレだわ」と思われること間違いない。筒井康隆では、こうはいかない。

さて、片岡義男は、サーフィンが似合う男である。バーチカルツインのバイクも似合う男である。若い頃はなかなか男前だったし、声も低音で渋い。確かラジオのパーソナリティもやっていた。ステテコやパッチは、決してはかない男なのだ。

本のタイトルが、またオシャレである。

「スローなブギにしてくれ」「いい旅を、と誰もが言った」と言ったちょっと恥ずかしい系のオシャレなものからはじまり、最近では「日曜日を左に曲がる」や「たぶん、おそらく、きっとね」など、オシャレにも深みが出ているのである。

私は、本はどんどん捨てる派なのだが、片岡義男の「ブックストアで待ち合わせ」や「なにを買ったの? 文房具。」などは、おそらく死ぬまで捨てないだろう。私の中に残る、オシャレの最後の砦が片岡義男なのだ。

で、あなた。

朝日捏造新聞に片岡義男の「珈琲が呼ぶ」の書評が載っていて、これは面白そうだなとAmazonで買おうとしたのである。そしたら、何やら別窓が現れて、「ちょっと待ちいな。『珈琲が呼ぶ』やったらKindle版が安いでっせ」と言っている。

アホか、と私は思った。思っただけでは物足りず、「Amazonも老いたものよのう」と呟いた。「本好きの、しかも片岡義男を読むような男が、Kindle版を選ぶはずがないだろうが」

言うまでもなく、片岡義男は、リアルな本だからオシャレなのである。紙に印刷された文字だから、あのオシャレ感が生まれるのである。スマホタブレットの画面から得られるのは、それは片岡義男の本ではなく、片岡義男の本に似た何かなのだ。著者名を見るがいい。おそらくそれは、片岡吉男であるはずだ。だっせー。

当然のごとく、私はKindle版には目もくれず、単行本の方をカートに入れようとした。
そして、金額をチラッと見て、「えっ!?」と二度見したのである。続いて「うーん」と唸った。ソフトカバーなのに1,800円である。

「ちょっと待ったらんかい」と私は、また呟いた。「こないだ買った『筒井康隆、自作を語る』でさえ1,300円やで。なんで、そんなに高いんや」

もう一つ驚いたのが、Kindle版の値段である。なんと税込みで648円なのだ。書籍版とのこの差は一体何なのだ。通常は同じ値段か、例えKindle版が安くても、その差は若干であったはずだ。

そう言えば、片岡義男の作品は、青空文庫にもいくつか入っていて、ただで読めるようになっている。もしかすると、片岡義男はただのオシャレな作家ではなく、聖人的なオシャレな作家で、私のような貧乏人にも読めるように安くしてくれているのではないか!?

「え!? 『珈琲が呼ぶ』は、そんな値段設定になるんですか。うーん、それでは私が守銭奴みたいじゃないですか。それは、私の美意識に反する。じゃあ、せめてKindle版は安くしてください」

そんなやりとりがあったのではないかと、私は想像するのである。

私は、とりあえずKindle版を購入した。648円というのは、破格の値段に思えたのだ。内容は同じなのだからと自分に言い聞かせ、つい買ってしまったのである。そして読んだのであるが、やはり片岡義男の本にはタブレット端末は似合わないと結論づけた。

珈琲を軸にして、記憶やら考察やらが語られていく内容だけに、これはパラパラとページをめくりながら、少しずつ読み進めていく本である。タブレットで指をすべらせて読むような本ではない。

残念ながら、それはやはり片岡吉男でしかなかったのだ。

雨が止んだら、書籍版を買いに行こうと思う。

 

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