だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

尿漏れの責任を膀胱に押しつけるのは間違い。精神の責任も大きいという話。

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正月早々尿漏れした。

ご存知か? 尿意というものはおかしなもので、膀胱の性能や限界とは別に、随分と精神に影響されるものなのだ。

昨日もそうだった。午前1時頃に寝て、起床したのは6時。途中で尿意のために目が覚めたのはいつものことだが、昨夜は珍しくトイレに行くこともなく再び眠りについたのである。

起きてからおねしょをしていなかった自分を褒め称え、それどころか今朝はまだ膀胱に余裕がある。うん、これなら歯磨きをしてからトイレに行っても十分だな。私は、自分の膀胱を誇らしく思いながら歯を磨いたのだが、つい、こんなことを思ってしまった。

もう少しで歯を磨き終えるぞ。そうなったらトイレで膀胱にたまった尿を放出するのだ。溜まりに溜まった尿を一気に放出するあの快感。私は、日本最大の人間貯水ダムになるのだっ、などと独白したのである。

だが、尿が溜まった際にもうすぐ放尿できる、と考えることは、これは危険である。危機管理意識の欠如とそしられても仕方がない。

もうすぐ出せると思った瞬間に、膀胱がそれを認識してしまい、「もうすぐ」が「今すぐ」に変換され、やにわに放尿しようとするのである。

アッと思った時には、もう遅いのだ。昨日の朝の私もそうだった。

チョロッと尿が出た気配を感じつつ、歯ブラシをくわえたままいつもは使わない1階のトイレに駆け込み、さらに放尿を続けようとする膀胱に、「待て、待つのだ」と叱咤しながらパジャマをおろす。

ああ、こんなことになるのだったら、「あと1時間は出さないぞ」と膀胱に言い聞かせるのだった。

で、「ギリギリセーフか!?」などと思いながら、パンツを見るとちょっと濡れていたのだ。ごくわずかな染みであるが、尿漏れには違いない。外出中にトイレに間に合わなくて尿漏れするのは仕方がないが、家にいながら尿漏れするのは、これは情けないのではないか。

と言うわけで、皆さん。

日頃から膀胱をしっかりとしつけておかないと、歳をとった時に困ったことになると言う話である。お気を付けいただきたい。