だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

ある脱糞者からバカッターへのアドバイス。安心したまえ。記憶は消えなくても、その嫌な気分はいずれ消える。

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何だ、君。今日も嫌なことがあったのかね。

請求書のゼロをひとつ少なくして出してしまった? デートの食事でクシャミをして、彼女の顔にグチャグチャになったスパゲティを吹き出してしまった? さぞ、落ち込んでいることだろう。

まあ、それは仕方がない。私のような高性能・高機能タイプの人間でさえ、ごくまれにだがそうした失敗をすることはある。

例えば、小学生の時にウンコを漏らしたのだが、これは非常に嫌な記憶である。もちろん、私は子供の頃から危機管理能力は抜群だった。ウンコを漏らした瞬間、学校から逃走し、クラスメートにバレることはなかったのである。

翌日、「おなかが痛くなったので帰った。学校のトイレは汚いから嫌だった」と説明したのだが、その理由は一部の真実が混ざっているだけにリアルである。「いやあ、家に帰ってトイレにしゃがんだ途端どっと出たよ」などとクラスメートを笑わせ、事なきを得たのである。

これが「いやあ、見たいテレビがあったのを思いだして、あわてて帰ったんだ」では嘘っぽいのである。そんな嘘は、「あれえ、走って帰るときに、お腹をおさえてたよねえ。ホントはウンコを漏らしちゃったんじゃないのぉ」などと見た目は子供の兄ちゃんに見抜かれてしまうのだ。嘘をつく時は、一部の真実を加えることだ。

さて、ウンコを漏らすという非日常的な経験は、とてつもなく精神にダメージを与える。おれの肛門は何をやっとるのですかーっ。なぜ、ヤバいと思った時に、すぐにトイレに駆け込まないんですかーっ。

いくら自分を責めても、出したウンコは戻らないのである。覆水盆に返らずなのだ。この場合は、覆糞盆に返らずか。いや、盆の上でウンコはしないな。筒井康隆は皿の上にウンコを出してフォークとナイフで食ったそうだが、あの人は特殊だから例外だろう。

自分がとてつもない無能になったような気がして、当時、私は随分と落ち込んだ。例え回りの人間に気付かれなくても、ウンコを漏らしたことは自分が一番よく知っている。私は、子供の頃から誰も見ていないからと言ってゴミのポイ捨てはしないタイプである。

「ああ、おれはウンコを漏らした情けない人間だ。例え、将来ノーベル賞を受賞しようが、オリンピックで金メダルを取ろうが、おれの心には脱糞者の烙印が押されているのだ。もう、心から笑えることなど一生ないだろう」などと自分を責めた。

で、あなた。

驚いたことに、翌日にはそんな気分は消えていたのである。3日もすると完全に消え去った。あとには、ただウンコを漏らしたという記憶が残っていただけだ。だが、記憶など、あのドーンと自分の心に重くのしかかる絶望感からすれば、せいぜいおなら程度の軽さである。

そうか、と私は思った。

嫌な気分と言うものは、時間がたてば消えるのだ。記憶と気分は違うのだ。だったら宿題を忘れて先生に怒られても、ミカンを食い過ぎて親に怒られても、その嫌な気分というものはいずれ消えるのだ。消えるものに、いちいち思い悩んでも仕方がない。意味がない。つまり、先生や親が怒ること自体に意味がないのである。よし、宿題はもうやらないことにしよう。

私は、なにかすごい発見をしたような気がして興奮した。エウレカと叫びたい気分だった。

さて、世間を見渡すと「ああ、これは落ち込んでるだろうな。絶望的に嫌な気分だろうな」と思える人がたくさんいる。SNSがない時代は、ほとんどこういうことはなかった。SNSがあるから、彼らの反応が垣間見え、そこから彼らの心境が想像できるのである。

最近の例で言えば、大坂なおみ選手についてトンチンカンなツイートをして炎上した毎日変態新聞客員編集委員。例えば、店内での馬鹿な行為を拡散され、解雇、損害賠償ととんでもない事態に発展したアルバイト店員。彼らは今、最低でどうしようもない気分に落ち込んでいるのではないか。

私自身は、世間全体が自分の愚かな行為を知っているという体験をしたことがないのではっきりと言えないのだが、彼らの嫌な気分と言うものは、いったいどのくらい時間が経てば消えるのか。たぶん三日では消えないだろう。一週間か、一ヶ月か、それとも一年なのか。

ちなみに嫌な気分が消えれば苦しみは減るのだが、SNSで自分の名前や顔が拡散されてしまうと、それはネットの海に存在し続けるのである。気分は消える。記憶も薄れていくが、記録は残るのだ。怖いねえ。

うーん、やっぱりSNSはやめておこうと私は思った。