だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

愚かなり。新元号について予想して、外れて、馬鹿にされて、ふてくされて寝る人たち。

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名前なんて、後からついてくるものである。

私もネーミングは時々やるが、いい名前だからと言って流行るわけではない。担当者が「素晴らしい」と言っても、中身が伴わなければ当然すぐにすたれる。逆にイチローなどという、古くさい名前をカタカナに変えただけの名前でも、レジェンドになり得るのである。

元号も同じだ。

最初は、「平成だって? なんか締まりがねえなあ」などと思っていたのだが、いつの間にかそれなりに貫禄が付いて、「平成の時代でありんす」などと威張っている。

早い話が、元号なんて何でもいいのだ。

例えば、「金玉」だっていいのである。最初は、「いくら何でもそれはないだろう」などと非難を浴びるだろうが、そのうち必ず慣れるのだ。金玉3年くらいになると、もう当たり前になっているだろう。

どこかの令嬢が「もう金玉3年になりましたわね」などと言っているのを想像すると、それだけで「ああ、金玉でよかった」と心から思えるのではないか。思えるはずである。

ウルトラセブンが好きな私からすれば、「ウルトラ」などという元号もいい。「ウルトラ元年」なんて、実に素晴らしいではないか。漢字二文字のありふれた元号よりも、確実に後世に残る元号である。

回りでも「安久だ和永だ幸永だ」と新元号を予想している人がいるが、なぜ、そんなことに頭を使うのか不思議でならない。

そもそも比較的画数が少ない漢字二文字で、明るいイメージという縛りが、実につまらない。いや、徹底的につまらないと言っても過言ではない。

逆に、画数がメチャクチャ多くて、誰も読めなくて、意味的にはすごく凄惨であったりする方が「よし、考えよう」という意欲が生まれるのである。

当たり前の結果を考えるために時間を使うなど、実に馬鹿げたことだ。そんなもの、考えても意味がないのである。だと言うのに、今日も朝からテレビ番組は新元号一色であり、あーだこーだと騒いでいる。

どうせ、新元号の反応は「うーん」「まあ、悪くはないけど」「なんか普通やなあ」「ワシが考えた方がええと思うけどなあ」「ポンポコピー」と言ったものに決まっているのだ。

だが、世の中何が起こるかはわからない。

普通の漢字二文字だと思わせておいて、「新元号は、金玉に決まりました」と発表されたら、私は驚く。おそらく金玉を放り出すほど驚くと思う。そして、「意外とやるじゃないか、林真理子」とつぶやくと思う。

考えてみれば、「金」と「玉」である。簡単な漢字二文字で、明るいイメージではないか。しかもイニシャルはKで、過去の3つの元号とはかぶらない。「金玉元年。こりゃあ、あり得るな」と私はワクワクしながら発表を待った。