だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

ノートルダム大聖堂の炎上に結構ショックを受ける。そして、法隆寺は大丈夫なのか!?

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ノートルダム大聖堂が焼けた。焼き芋が焼けたのとは訳が違う。

正直、私はどちらかというとフランスは嫌いな国だし、フランス語を聞くと「拙者を馬鹿にするか~っ」と腹が立つし、そもそもフランスは対岸どころか遠い彼方の国である。

対岸の火事だから野次馬的に面白がっていればいいのだが、それでも、ノートルダム大聖堂という、野球で言えばイチロー、将棋で言えば羽生善治的な存在が焼けたというのは、これは私としてもショックだった。映像を見た瞬間、「取り返しつかへんやんけ」と怒りにも似た感情がわき上がった。

さらにショックだったのは、朝日捏造新聞の記事に、ある識者が「日本で言えば法隆寺が焼けたというのに匹敵する」などと書いてあって、それを読んだ瞬間、「えーっと、法隆寺ってどんなんだっけ?」と思い出そうとしたのだが、これっぽっちもイメージが沸かなかったことだ。

で、ネットで確認したのだが、どうもピンとこない。ただ、「中門金剛力士像」には見覚えがあって、確か写真も撮った。行ったことがあるのは確かである。この像や五重塔が焼けたのと同じか、などと写真を見ながら思ったのだが、やはりピンとこない。

どう考えても、ノートルダム大聖堂の方が精神的ショックが大きい気がするのだ。これは、いったい何なのか?

ノートルダム大聖堂が完成したのが1225年。法隆寺は607年である。歴史的には、法隆寺の方が古い。だが、「ノートルダム大聖堂法隆寺、好きな方をお前にやる」と言われたら、私はためらうことなくノートルダム大聖堂を選ぶのだ。

私の、ノートルダム大聖堂に対するこの気持ちは、いったい何なのか。行ったこともないのに、なぜ、こんな贔屓をしてしまうのか。

フランスなんて筋金入りの差別主義国家だし、アジア人を猿扱いしているし、私が知っている言葉「コマンタレブー」にしても、どう考えても「ちびまる子ちゃん」のブー太郎のセリフではないか。

そう言えば、以前、ある教会に入った時、私はその場の雰囲気に思わず帽子を脱いだことがあった。ハゲているにも関わらず、だ。私の中にある何かがそうさせたのだ。

日本の寺や神社に、そういうものを感じたことはない。むしろ、「信仰心を生むために、こんな大層な建造物やら像を造ったのか。ご苦労なことである」とむしろ馬鹿にしていた。

キリスト教も人心をつかむために荘厳な建造物を造ったのは同じだろう。ノートルダム大聖堂だって、そのはずである。だが、私は、ノートルダム大聖堂や教会には畏敬の念を抱き、法隆寺にはそれを感じなかったのだ。

もちろん私は、キリスト教徒ではない。頭はハゲているが、別にフランシスコ・ザビエルの真似をしているのではなく、真性のハゲである。そもそもフランシスコ・ザビエルのハゲはトンスラという髪型であり、さらに本当にあんな髪型だったのかすら疑問視されているのだ。

私の文化基準や美的感覚が、そして畏敬の念を感じる心が、いつの間にか西欧化していたとでも言うのだろうか。そう言えば、私は、羊羹よりもケーキ派であり、邦画よりも洋画、明智小五郎よりもシャーロック・ホームズが好きではないか。ああ、ご先祖様に申し訳ない。

ちなみに法隆寺は、昭和24年に火災が起こり、国宝の壁画などが焼損したことがある。現在、防火設備は万全のようだが、いつ何時ノートルダム大聖堂のような悲劇に見舞われるとも限らない。

今度の連休に、法隆寺に行ってみようかと思う。