だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

【池袋事故】自分の便利を、他人の命よりも優先する。それを老害と呼ぶ。

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怖い時代になったものだ。

昔は、飛びもしないのに羽根を付け、ゴキブリのように地をはうDQNの車に注意していたのだが、今は、年寄りの車の方がもっと怖い。見た目は普通の車だから、注意のしようがないのだ。しかも、年寄りは意外と車に乗っている。そして、自分の運転技量が落ちていることを認めない独善的な人間が多い。

困ったものである。

自慢させていただくと、私などは、若い頃からバイクと車が趣味だったのだが、視力が落ちた時点で乗らなくなった。暗くなるとさっぱり見えないのである。私は、「万一」という言葉を、万に一つだから自分にも起こりえると考えている人間である。万一だから自分には起こらないだろうと考える愚者ではないのだ。

幸いにして、私は人身事故を一度も起こすことなく人生を終えることができそうである。それがどれほどラッキーであったことか。どんなに慎重に運転しても、どんなに運転技術が優れている人間でも、事故は起こりえる。それを回避することは至難のワザだ。

だというのに、うまく運転できなくなったのにも関わらず、便利だから、足が悪いからと車に乗り続ける老人がいる。その人にとっては、自分の便利は、他人の命よりも比重が重いということだ。独善的であるにもほどがある。

そもそも車は凶器である。ナイフや包丁よりもたやすく人を殺すことができるのだ。包丁を振り回す人間からは逃げることも可能だが、猛スピードで突っ込んでくる車からは逃れようがないのだ。

少しでも運転に不安が出てきたなら、ただちに車から降りるべきである。それは、若い人でも同じだ。

睡眠不足で疲れている。仕事がうまくいかずイライラする。そんな時に車を運転すれば、事故の確率は一気に上がるのだ。つい先ほども小学生2人が車の事故に遭っていた。一人は死亡、もう一人は重傷である。運転者は、「ボーッとしていた」などと言っているらしいが、おそらく居眠り運転だろう。

さて、池袋で事故を起こした87歳の爺さんは、1年ほど前から「運転をやめる」と言っていたのだそうだ。駐車がうまくできず、何度もやり直していたらしい。だが、足が悪いせいで車に乗り続けた。

自分がラクに移動するために、結果として31歳の母親と3歳の娘を殺したのである。家族も運転を止めず、その殺人に手を貸していたのである。例え殴ってでも止めるべきだったのだ。命がけで止めるべきだったのだ。そうすれば二人は死ぬことはなかったのだ。

いいですか。飲酒運転は、酒を飲ませた店も、同乗していた人間も罪に問われる。だとすれば、事故を起こす可能性を知りながら、車を運転させていた家族も同罪である。事故の際、同乗していた婆さんの罪も重いのだ。被害者が二人とも死んでしまった以上、罪は償いようがない。許される道は、存在しないのである。

元高級官僚で大企業の副社長に天下りし、おそらく順風満帆の人生だったのだろう。だが、その人生の最後の最後で、とてつもない重荷を背負ってしまった。その恐ろしさ。

私は、誓って車の運転は、もうしないのだ。ずっと低空飛行の人生である。これ以上、落ちてたまるかっ。