だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

意外と底が浅かった人、例えば反体制派ぽい役者 佐藤浩市さん。

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まあ、確かに佐藤浩市さんの発言はよろしくない。

「空母いぶき」という映画で首相役を演じるに当たって、「彼はストレスに弱くて、すぐにおなかを下してしまう設定にしてもらった」と語ったのである。これは、どう考えても安倍首相が難病の潰瘍性大腸炎を苦しんでいたことを揶揄する発言である。

怒っている人が多い。作家の百田尚樹さんなどは、「三流役者が、えらそうに!! 何がぼくらの世代では、だ。人殺しの役も、変態の役も、見事に演じるのが役者だろうが!」などと激怒している。

私は、「意外と底の浅い人だったのかな」と思った程度である。確かに人の病気を笑いものにするのはいただけないが、そういう人はどこにでもいるのである。いちいち腹を立てていたら、腹筋がいくらあっても足りないのだ。

もちろん私を名指しして「ウンコを漏らしたことがあるくせに」などと嘲笑すれば、これはもうノドから手を突っ込んで大腸までその手を伸ばして溜まっていた佐藤浩市さんのウンコを引っ張り出して口の中に置き去りにし「やーいやーい、自分のウンコを食いよった」と笑ってやるのだが、まあ、そういうことは起こりえない。悲しいかな、佐藤浩市さんは、私の名前など知るよしもないのである。

しかし、なんでこんなことをインタビューで語ってしまったのか。と言うか、なんでこんな発言を雑誌は掲載してしまったのか。この雑誌は、マンガ雑誌である。サヨク系の言論雑誌ではないのだ。言ってみればヨイショ的な記事であり、波風を立てるのが目的の記事ではない。

しかるに小学館の「ビッグコミック」は載せてしまった。安倍首相の病気に関しては、野党が揶揄して問題になったことも記憶に新しく、当然、その危険性は感じたはずだ。感じないなら、それは出版に携わる者ではない。必ず、「あ、これヤバいかも」と思ったはずなのだ。取材した人も、出版社の編集者も、おそらく佐藤浩市さんの付き人やマネージャーも、そう思ったはずなのである。

だが、そのまま掲載された。つまりこれは確信犯である。

「おいおいおい、佐藤浩市はん、エラいことしゃべってはるがな。えーっ、ええんかいな。完全に安倍首相の病気のことでんがな。こんなん載せたら炎上しまっせ。とは言え、炎上するんは佐藤浩市はんやしな。まあ、ええか。載しときまひょか」

誰一人、「ええっと、佐藤はん。その発言載せるとちょっとまずいかも知れまへんで。その部分、削除しときまひょか」とは進言しなかったのだ。佐藤浩市さん、もしかすると孤立している人なのか。そう考えてみると、ちょっと可哀想な気もする。

まあ、その後小学館から「作品はフィクションであり、実在の人物ではございません」という極めてトンチンカンな談話が出ているため、もしかすると「この記事はまずい」という判断すらできないレベルの出版社である可能性も出てきた。

私が佐藤浩市さんに対して「この発言はよくないな」と思ったのは、むしろ首相以外の部分だ。よくないと言うよりも、格好悪い。随分と彼の評価を下げる発言だと思う。

「最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」

この発言の軽さ。

例えば佐藤浩市さんが、反体制的な活動を主としているのなら、この発言は成立する。だが、この人が出ている作品は商業主義的なものばかりである。それはつまりは、体制側ということなのだ。「ボーダー」的に言うと、佐藤浩市さんは「あちら側」の人間なのだ。

私も恥ずかしながら反体制を気取る世代の人間だが、この手のエセ反体制派は大勢いた。普段は、学校や警察、政治家に反発しながら、成人式にはいそいそと出かけていく連中だった。国語辞典と紅白饅頭をもらって喜ぶ愚か者たちである。

もの申すのなら、スポンサーに対しても言うべきである。それこそが映画人にとっての、本来の反体制である。「首相に対して批判的な役作りをするオレ、カッケー」とでも思っているのなら、それは非常に滑稽な勘違いだ。喜ぶのは、底の浅いサヨク系の人たちだけである。普通の人は、ちょっとイヤな気持ちになるだけなのだ。

ちなみに、百田尚樹さんのTweetが強烈だったせいで、ラサール石井さんや「尖閣は中国にあげればいい」みたいな発言で炎上した芸人さんとかが反発の声をあげたらしい。やっぱりね。

いつもの構図である。さすがにちょっと飽きてきたのだ。