だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

フフフフフッ、私が命の大切さを教えてやろうか。

f:id:b9q:20190712130345j:plain

中学生がまた自殺していた。どうやらいじめが原因らしい。どうせまた校長が出てきて、こう言うのだろう。

「生徒たちに命の大切さを教えたい」

私は、これを聞くと瞬時に発狂する。命が大切なら、事件が起こる前に本気で仕事をせんかい。本気で取り組んでたら、こんなことには絶対ならへんのじゃ。何をとぼけた顔して会見してやがる。演技でもいいから、もっと深刻な顔をしやがれ。メソッド演技法くらい勉強しとけ、このクソボケがっ。

腹が立つあまり地団駄を踏み、その衝撃が大腸に影響を及ぼし、最悪の場合は脱糞に至る。歳は取りたくないものだ。パンツ代を払え、と校長に言いたい。

さて、命の大切さについてである。私がホントのところを教えてあげよう。

残念ながら命は大切ではない。全然、大切ではない。そんなこと、日々生きていれば誰でも分かることである。

満足に歩けないような老人が車に乗り、アクセルとブレーキを間違えて人をひき殺す。もう、日常茶飯事である。人の命よりも、自分の便利のほうが大切なのだ。本当に命が大切だと考えているのなら、こんな無意味な死が頻発するはずがないのである。

私は、はっきりと断言する。命は大切ではないのだ。

いや、今の中学生たちも、そんなことはわかっていると思う。彼らだってバカではないのだ。我々の頃よりも教師やクラスメート、親との関係性は複雑化し、入ってくる情報量も格段に違う。彼らは、無意識的にしろ、ある程度はわかっているはずだ。従っていくら校長が「命は大切です」と言ったところで説得力はゼロである。残念ながら、それは言葉だけの真実なのだ。

さて、ジグソウというおっさんがいる。ご存知か?

映画「ソウ」に出てくる命の大切さの代弁者だ。代弁者であって、大便者ではない。決して間違えてはいけない。

ジグソウは言う。おれは不治の病だから、命の大切さがわかっている。お前らにも命の大切さを教えてやる。だから、お前らをものすごく痛い、ものすごく命が危ない状況に放り込んでやる。その体験で人生を変えるのだ。

はっきり言って、ものすごく大きなお世話である。

ターゲットになった男女は、ある者は脱出のために自分の足首を切断し、ある者は拘束具の鍵を得ようと、硫酸の中に手を突っ込む。そして、彼らのほとんどは死んでいく。

だが、現実的には、命を失うような怖い目にあった人が、みんな、その後、懸命に生きていくかというとそんなことはない。決心などせいぜいもって3日である。

いい例が私だ。二度、死にかけたことがあるが、いまだに、ヘラヘラ、フラフラしながら何かをブラブラさせて生きている。意志の弱さでは、誰にも負けない。

命を考える時、私は、近所の川にいるシロサギを思い出す。彼は、顔を下に向け、突っ立っているだけだ。10分ほどすると、急に動いてくちばしを川の中に入れる。そのくちばしに小さな魚がくわえられ、彼は上を向いてそれを飲み込む。

彼は、命の大切さも生きる意味も考えない。何にでも意味を付けようとするのは、人間の、そしてジグソウの悪い癖だ。

命というものは、ただ在るだけで意味がある。