だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

愛知県大村知事「哀れだな、と思いますね」の発言に、思わず「哀れなんは、お前の顔じゃーっ」と叫んでしまう。

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いや、私の顔だって哀れですよ。それは、間違いない。大村知事を笑えないほど哀れである。

街を行く100人の女性に、「この人の顔は哀れですか?」とアンケートをとれば、おそらく100人が全員「哀れです」と答えると思う。非常に残念な結果であるが、それが現実である。甘んじて受け止めよう。

しかし、私は人に対して「哀れだと思う」などとは決して言わない。なぜか? そんなセリフが似合うようなキャラクターではないからだ。私は、それを自覚している。

あなたね。

「君を哀れんでいるよ」とか「あんたは哀しい人だ」とかのセリフは、かなり難易度の高いセリフですよ。性格的には、言うまでもなくナルシスト。しかも、ナルシストであることを滑稽に感じさせないだけの美形であることが不可欠だ。

そうであってはじめて「哀れな人だ」というセリフは成立し、言われた相手の心臓にグサリと突き刺さるのである。

愛知県の大村知事のような平均以下のご面相のオッサンが、そんなセリフを言っても似合うわけがないでしょうが。言った瞬間に「哀れなんは、お前の顔じゃーっ」と突っ込まれて終わりなのである。

しかも、大村知事が「哀れ」と言った相手は、大阪の吉村知事である。彼は若いし、どちらかというとイケメンだ。これが逆なら成立するのだが、今の状況では、やっぱり「哀れなんは、お前の顔じゃーっ」と言うしかないのである。

しかし、顔というのは残酷なものだ。

私だって自分が残念な顔だというのは自覚しているのだが、油断すると、つい松田優作的な自我が顔をのぞかせる。

大村知事も、つい草刈正雄的な自分が現れてしまったのだろう。許してやって欲しいと思う。自分の脳内では、誰だってイケメンなのだ。

ちなみに「哀れだな、と思いますね」は、天皇陛下の写真を焼いたり特攻隊の寄せ書きを使った「間抜けな日本人の墓」という作品を展示したことで有名になった「表現の不自由展・その後」に絡んだ発言だ。おそらくきちんとした作品もあっただろうに、極端かつ精神的に未熟な作品を入れてしまったために変な注目のされ方をしてしまった。他の作家の方が気の毒である。

そんな状況を受けて、大阪府の吉村知事がその展示物のひどさと公金が使われている点を問題視して「大村知事は辞職相当だと思う」と発言。それに対して、逆上した大村知事が「哀れだな、と思いますね」と言ってしまったのである。さらには「日本維新の会表現の自由はどうでもいいと思っているのではないか」などという左翼特有の論点をすり替えて極論に導く発言も行った。

はっきり言っておく。

アート作品に関してはともかく、大村知事のような残念な顔のくせにイケメン風のセリフを吐くオッサンには、表現の自由は一切ないと私は断言する。せっかくのセリフが可哀想だっ。自分が吐いたセリフに謝れっ。「自分には、このセリフを言う資格はありませんでした」と土下座しろっ。

なにが「哀れだな、と思いますね」だ。

最後にもう一度、声を大便にして言う。さあ、皆さんもご一緒に。

「哀れなんは、お前の顔じゃーっ」