だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

河本準一は、朝日新聞である。

f:id:b9q:20190928152914j:plain

現代七不思議の一つに、朝日新聞がある。

慰安婦報道というあれほど大きな捏造記事を長年に渡って続けながら、まるで反省していない。反省していたら、今のような上から目線での記事など書けるわけがないのだ。

普通の人間なら、「うーん、こんなに偉そうに書けるほどワシらえらないしなあ。いや、むしろもっと卑屈な視点で書かんとあかんのと違うやろか」となるはずだが、朝日新聞は違う。

「まあ、確かに間違ったことを書いてしもたけど、あれは捏造やなくて誤報や。しかも、ちゃんと朝日新聞の一面で謝ったやろ。これ以上どうせいちゅうねん。ジャーナリストとして、きちんと日本を貶めることこそが、ワシらの責務や」と開き直っているのである。

で、同じ事を河本準一さんにも感じた。

オフィシャルブログで優先席に座ってスマホゲームに講じるサラリーマンに、怒りの声を上げたのだ。

▼おれ、河本準一。キレてる。いや、絶対許さん。電車での話。まだ、こんなやつおるんや。40代前半くらいのサラリーマン。斜め前にどう見ても80前後のおばぁちゃんと娘さんが入ってきた。男チラッと見た。俺はその瞬間にでも席立つと思った。俺ならマジであのタイミング。チラッと見てスマホのゲーム始めた。そいつの席はクソでかい文字で優先座席と書いてある。

(中略)

その優しさが人を成長させるのに。もったいない。お前今日1日中しんどいやろ? 実は変われば良かったと思ってるよな? ばぁちゃんには遅いけどやり直しはきくぞ。次は頼むぞ。優先座席に積極的に座るなよ。普通席でも変われる人になれよ。

なんという上から目線であるか。もちろん、優先座席に座って年寄りに席を譲らないのは怪しからんことである。だが、小市民的な視点で言うと、やはり「いやいやいや、お前、生活保護費を不正受給してたやん。どの口が言うてんねん」と思わず言ってしまうのである。

私が彼の立場ならこう書く。導入はこうだ。

生活保護費を不正受給していた立場で偉そうには言えないのですが、今日、電車でちょっと怪しからんシーンを見てしまいました。もちろん生活保護費の不正受給の方が怪しからんのですよ。それでもあえて言わせていただきたいのです。言うことをお許し頂きたいのです。

朝日新聞もそうだが、河本準一さんも自分自身の過去の過ちに対する目が甘過ぎる。もう、なかったことになっているのではないか。まあ、私の添削した文章のようにへりくだる必要は、本当はない。今の河本さんが感じるままに書いてもいいのである。

だが、「いや、絶対許さん」というような他者に対する過激な言葉は使わない方がいいと思う。そして「次は頼むぞ。優先座席に積極的に座るなよ。普通席でも変われる人になれよ」という文章に見られる上から目線は隠した方がいいのではないか。どんな聖人君子でも、ここまで言い切るのはためらうのである。

かつて問題が発覚してバッシングを受けた際、彼はTwitterの意味自体を把握してない人は今後一切見なくていいなぁ。その生き生きとしたパワーをもっと他の事で使えばいいのになぁ。人の嫌な事を生きがいにしてる人達がどうか無くなりますようになぁ」Tweetした。お前ら無名人が何を言うか、という一般人の生き方を見下した一面が、当時からあったのかも知れない。

それにしてもこれは私の場合だけかもしれないが、生活保護費の不正受給というのは、その犯罪のレベルからすると、考えられないほどの嫌悪感を感じてしまう犯罪である。嫌悪感の大きな犯罪トップ3に入るのではないか。

これが例えば「河本準一、ファンに暴力」といった事件なら、おそらく聞いた3分後には忘れているだろう。

生活保護費の不正受給というのは、この世で一番みっともなくて、情けなくて、恥知らずで、世間に知られたらもう道の真ん中は歩けず、どんなに嬉しいことがあってももう心から笑うことは出来ず、一生後悔しながら生きることになる、とてつもなく重~い罪なのだ。

そう考えてみると、河本準一さんの書いた「やり直しはきくぞ。次は頼むぞ」という言葉は、自分自身に言った言葉だと読み取ることもできる。そう解釈すれば、味わい深い文章と言えなくもない。

私からも河本準一さんに言いたい。誰だってやり直しはきく。次は頼むぞ。