だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

怖がりな人。断れない人。

どうにも理解できないのだ。自分の子供が死にかけているのにママ友の言いなりになった母親のことである。結局、子供は死んでしまった。

洗脳などと言われているが、本当なのだろうか。少なくとも「いやだ」という意識は常にあったのではないだろうか。

私は洗脳されたことがないし暴力的な対応をされて恐怖を感じたこともないので彼女を非難する資格はないのかもしれないが、私には、この母親は単に断る勇気がなかっただけのような気がする。

例えば、パシリもそうである。

「おい、お前、缶コーヒー買って来いよ」「おう、おれもや。サントリーのBOSSレインボーマウンテンな」「サントリー綾野剛を使った『オールドルーキー』のスポンサーやったやろ。わしは松岡知穂のファンやったんや。未成年の彼女に酒を飲ませて淫行した綾野剛はゆるせんのや。だから、サントリーもゆるせん。わしのはジョージアにしてくれ」などと命じられてうれしい人間など誰もいないだろう。

もしかすると殴られたりするかも知れないが、イヤだと思うのなら「イヤだ」と断るべきなのである。それは、生きていくのに必要な最低限の勇気なのである。「それができない人間もいる」という意見もあるだろうが、だったらいつまでもパシリをやってろと言うしかない。もしくは解決できる大人や社会に頼るべきである。もちろん大人や社会にも当たり外れがあるので、粘り強く信頼できる相手を探す必要はあるだろうが。

もちろん私だって強いわけではない。黒いスーツを着た江頭2:50が無表情に顔を近づけてきて、「お前の顔を舐めるか、それがイヤなら缶コーヒー買ってくるか」などと静かに言われたりしたら、おそらく缶コーヒーを買いに行くだろう。また、見るからに覚醒剤中毒のチンピラが脅してきても言うことを聞くに違いない。狂気の前に勇気をふるう必要はないのだ。

だが、普通の暴力団員に「缶コーヒー買ってこい」と言われたなら、私は「断る」と言うのである。いや、言いたいものだと思っている。まあ、実際その場になってみないとわからないのだが。

世の中に「断る」と言えない人がなんと多いことか。会社の飲み会を断れない。きれいなお姉ちゃんから英会話の教材を売り込まれて断れない。宗教の勧誘が断れない。自慢ではないが、私は、全部断ってきたのである。だから、3年以上同じ会社に在籍したことはないし、英語も話せないし、いまだに神のご加護はないのだ。

確かユダヤ人の格言にこんなのがあった。「勇気を失えば全てを失う」

あの母親に「イヤだ。あなたは、もう来ないでくれ」と言う勇気があれば、子供は死なないですんだのに、とつくづく思うのである。

 

う~ん、ちょっと消化不良だなあ。と思った「ガリレオ禁断の魔術」

まあ、福山雅治はいいんですよ。相変わらずイケメンだし声もいい。生まれ変わるならやはり福山雅治で決まりである。一部の俳優の演技に首をかしげる部分はあったのだが、まあ、それもいい。私に演技がどうこう言うだけのスキルはない。

一番、首をかしげたのが、今回の凶器となる「レールガン」である。私は、壁に穴が開いたという映像を見ただけで、「ああ、これはレールガンだね」と思った。一緒に見ていたクレオパトラ似の妻も「あら、これはレールガンかしら」と言った。おそらく全視聴者の6割はそう思ったのではないか。

私は「ガリレオ」の熱心な読者でも視聴者でもないので不満のピントがずれているかも知れないが、私としては、もう少し、パズル的アナログ的な謎解きがほしいのである。すでに開発されている兵器をそのまま出すことには首をかしげざるを得ないのだ。湯川博士の数式を書く決めのシーンも、このドラマでは唐突で、あまり必然性がないように思えた。

あと引っかかったのが、「科学を制する者は世界を制する」という言葉である。これは、犯人の父親の口癖なのだが、犯人も犯人の姉も、彼らに関わる政治家も盛んに口にする。十数回は出てきたのではないか。

使い古されたレトリックだし、言葉としての魅力は薄い。そもそも「制する」とは力でもって支配するという意味である。あまりイメージのいい言葉ではないのだ。なぜ、こんな陳腐で暴力的な言葉を、キーワードとして使ったのかと私は不思議で仕方がなかった。

まあ、一応、この言葉に対する伏線回収はあって、湯川博士は最後にこう言うのだ。

核兵器を念頭に、君のお父さんは自戒する意味でこの言葉を使っていたのかも知れないな」

いやいやいや、自戒する言葉なら自戒する言葉として語れよ、と思うのである。もしかすると原作には、犯人の父親がそのセリフを言うに至った経緯や犯人が受け継いだ想いなども細かく描かれていたのかも知れないし、東野圭吾のような作家なら、当然説得力のある言葉として成立させていると思う。だが、少なくともドラマを見る限りはチープな言葉としか聞こえなかったのである。

同様にかつての教え子だった犯人に対し、湯川博士がどういう行動をとるかが一番の見所なのだが、そのあたりも少々私には消化不良だった。わかりやすく言うと、ニンジンとトマトの皮が、ウンコに混じっているような感覚である。

原作を読もうかと思う。でないと消化不良のまま「ガリレオ禁断の魔術」との縁は切れてしまうに違いない。明日図書館に行って探してみようと思う。本来なら買うべきなのだが、残念ながら金がない。東野圭吾ほどの売れっ子なら、図書館で借りても決して「この貧乏人がっ」などとなじることはないだろう。

 

熊野正士参議院議員よ。エロ小説の創作は、私に任せろ!

いやあ、びっくりした。以下の文章は、公明党の熊野参議院議員という人が知り合いの女性に対して送ったLINEのものだと言う。文春や新潮にすっぱ抜かれたらしい。

○○さんに、キスをしたら、「気持ちいいわ、あなた、舌使いがとても上手になったわね」って、目がとろ~んとなるの。僕が、今度は、首筋からオッパイをゆっくり、丁寧に舐め回して、そしたら、○○さんが、大きな喘ぎ声を出しながら、「アソコも、そのいやらしい舌で気持ちよくして」って言うの。僕が、アソコを優しく舐め出すと、すでに濡れまくっていた○○さんのアソコから愛液が溢れ出してきて、もうビチョビチョになってきて、「あー、もう我慢できないわ、今度は、あなたのアレを入れてきて、早くぅ、お願い」って○○さまが言うの。

こんな下手くそな文章を送られたら、相手は怒るに決まっているではないか。私のチンコだってピクリとも動かない。むしろ、なえる。点数をつけるとせいぜい12点だ。まるで中学生である。いや、中学時代の私だって、もっとまともなエロ小説を書いていたぞ。

それが証拠に、私は一度もエロ小説を書ききったことはない。書き終える前に自分の美しくもエロい、例えて言うならば普段は清楚な美女がベッドの上では妖艶な笑みを浮かべて自ら裸になり、一瞬浮かんだ恥ずかしげな表情はそれも演技なのか、想像以上に大きな胸ながら乳首は小さくピンク色をして、そのアンバランスさに知らずに喉が鳴り、それを耳にしてクスっと笑いながらもこちらを目で誘ってくる、そんな文章を書くうちに思わず興奮してしまい、ついには辛抱できずにペンを持つ手でペニスを掴み(以下略)。

ああ、あの頃の私が書く文章は、例えエロ小説といえども天才的な輝きがあったんだがなあ。あのままエロ小説の道を歩めば、大ヒットして今頃大豪邸に住んでいたかも知れないんだがなあ。いや、完成させられないんじゃ意味ないか。私の敏感すぎる心とペニスの問題なのだ。仕方がないね。

さて、熊野議員の件である。こんな文章をLINEで送る以上、かなりの深い関係があるはずで、だとすれば「せっかく抱かせてやったのに捨てられた。ええい、この恨み、いかに晴らしてやろうか。そや、文春や。ついでに新潮にも送っといたろ」という推測も成り立つ。その場合は、二人は不倫関係である。

カラダの関係もないのにこんなのを送ったとしたら、それは完全にキチガイである。だけど、性犯罪者はキチガイが多いからなあ。

まあ、不倫かセクハラかは、正直どちらでも関係ない。やはり、今回の注目点は、彼が書いたというエロい文章である。これは、ひどい。いくら不倫関係でも、こんな文章を送られたら愛情など消え失せるのではないか。文才ゼロ。想像力ゼロ。オリジナリティーゼロ。特に語尾の気持ち悪さは抜きん出ている。

どんな顔をしているのか見てやろうとオフィシャルサイトを見たら、あなたこの人、医者ではないですか。顔つきもまともそうだし、強いてあげればちょっと笑顔が気持ち悪い。修正が原因だろうか。エゴイストかつナルシストで、当然のごとく自信家。

まあ、真面目なんでしょうな。遊び慣れた地位ある人が、今時、LINEでこんな文章を送るはずがない。晒されたら人生おしまいである。妻も子供もいるらしく、彼の心境を想像すると恐怖しかないのである。ああ、自分じゃなくてよかった。

ちなみに好きな言葉は「人生とは未知の自分に挑戦すること」だそうで、今回の件では、精一杯、未知の自分に挑戦したといえるのではないか。めでたしめでたし。

 

たぶんコロナ。

いやあ、驚いた。私のような人畜無害の人間にも、コロナウイルスというヤカラは無遠慮に襲いかかる。さすがは中国発のウイルスである。民度が低い。

ある日、突然、熱が出たのである。37.8℃である。平熱が36.3℃の私からすれば、極めて高熱。しかも喉が痛い。つばを飲み込むにも恐怖を感じる。ああ、つばがたまってきた。飲み込むか。いやいや、あの痛い思いをするのはもうご免だ。つばなど出なければいいのに。

などと思いつつつばを飲み込んで、その猛烈な痛みに耐えるのである。おそらくこれはトラウマになるはずであり、これから死ぬまでつばを飲み込むたびに恐怖がよみがえるのだ。

それもこれも前世はくまのプーさんだったプー近平の責任であり、コロナが武漢で流行りだした頃、病院が不調を訴える患者たちで満員電車の押しくらマンジュウ状態になっているのにも関わらず、まるで規制しようとしなかったことが今の世界を作り出した一番の要因なのだ。今頃になってゼロコロナとかで都市封鎖ばかりしているようだが、あの習近平とかいう爺さんは頭が悪いのかね。いつも眠たそうな顔をしているが認知症なのかもしれんな。

これまではコロナなど他人事だったから10万円だの100万円だの政府から金をもらえてありがたがっていたのだが、自分が感染すれば、話は別である。コロナは絶対反対。倒せ習近平。来るなら来い来い共産党。おい、そこのジジイ、マスクをせんかいっ。

まあ、38.8℃を山にして3日ほどで熱は下がり、喉の痛みも治まったのだが、3回ワクチンを打ってもこれだから、打っていなければどうなっていたことか。おそらく45℃まで熱が上がって脳の神経細胞がダメージを受けて、今頃こんな文章は書けていないかもしれない。

本来は熱が出た時点で病院に行くのがいいのだろうが、私は病院へ行くのが嫌いで、なぜかというと自分よりも上級階級の男が大嫌いなのである。さらには看護師の白衣に欲情してしまう性質を持っており、それを見透かした看護師に巨乳を腕に押しつけられ、「おやおや、まだお元気なんですね」などとイケメンの医者に嘲笑されたりしたら生きてはいけないのだ。

さいわい最近は、打ち合わせもリモートだし、人に会うことも滅多にない。元々人に会うこと自体が好きではないから、その点はコロナ様々である。自宅療養していれば、病院に行く必要はないだろう。

つい先ほど、仕事仲間から「どないしてる」と電話があったのだが、「コロナに感染したよ」と伝えると「意外と少ないなあ。あんたが直接知ってる感染者の第一号や」と言われた。「どないや」と聞くので「単なる風邪だね」と私は答えた。

 

 

咳をしても一人。なぜ、キミは寂しいのか?

私は、個人事業主である。たまにバイトを雇うこともあるのだが、基本的には一人で仕事をやっている。バイトがいると、オナニーどころか鼻くそをほじるのも苦労するのである。私の性欲と快適な鼻呼吸を阻害しやがってと、いつも腹立たしかった。

ある日、同じ個人事業主という立場の知り合いがやってきてこう言った。

「ひとりで事務所におって寂しくはないんか?」

アホかと思った。いい年こいて「寂しくはないんか?」だと。恥ずかしい男だ。心は乙女なのか。聞いてみると、そのオッサンは一人で事務所にいるとひどく寂しいのだそうだ。忙しいときは問題ないが、暇になるとダメなのだという。情けないやつだ。お前は、ウサギかと思った。

そう言えば、74歳の爺さんが独身のまま生きて、親が死んで一人になり「やっぱり寂しいんだよね」などと語っていた番組があったらしい。それをネタにしたまとめサイトを見たのだが、私などはさっぱり理解できなかった。

一人が一番自由で気楽ではないか。誰に気兼ねすることなく鼻くそをほじって食べることができるのである。いや、私は食べないが、食べるのが趣味の人の立場に立って言ってみた。鼻くそどころではないぞ。ウンコだって食い放題だ。そういう趣味の人は、独身を貫くべきである。

一人は、寂しい?

アホか。人間は基本的に一人で生きていける動物なのである。そういう社会構造にまで発展しているのである。よく安っぽいドラマで「人間は一人では生けていけないんだ」などというふ抜けたセリフがあるが、あれは間違いなのだ。

そもそも一人で生きていく覚悟のない人間には、他人を思いやったり愛することはできないのだ。友情とは、「友達などいらない」と考える者同士にしか生まれないのである。SNSでの関係など、あれは無に等しい。

もちろん私にはクレオパトラ似の妻と非常にできのいい一人息子がいるわけで、そんな私が声を大便にして語ったところで説得力はないだろうが、あなたね、結婚などしなくてもいいのである。するべき相手が見つかったときだけ、結婚を考えればいいのだ。婚活だマッチングアプリだと、無理に相手を探す必要などない。

妻子がどんなにすばらしい人間でも心配の種は尽きないし、むしろ飛躍的に不安の種は増えていく。さらには最後には死ぬという絶対に揺るがない結論がある。妻も死ぬし息子も死ぬ。血圧200を超える私などは、すぐに死ぬのである。ああ、私はなぜ生まれてきたのか。

まあ、生まれてきたのは自分の意思ではないので仕方がないが、結婚しないという選択肢は選べるのである。

そして私の結婚運が悪ければ、今頃私の妻は、毎日お菓子ばっかり食べてぶくぶくと太り、「グッチのバッグ、こうてえな」などとほざき、引きこもりの息子が「オヤジのカードでゲームの課金30万円つこてしもたで」などとヘラヘラ笑ったりしているのである。ああ、今の妻子でよかったと心からホッとするのだ。

いや、ちょっと自慢してしまった。申し訳ない。