最初に言っておくが、美談には興味がない。
ワールドシリーズ第3戦でダルビッシュ投手に対して差別的な言動をとったとグリエル内野手が非難された。目尻を指で押さえて目を細くし、アジア人の蔑称を口にしたんだそうだ。
それに対して、ダルビッシュは「完全な人間はいない。いろんな人がこのことから学べると思う」と答え、それがグリエルがワールドシリーズ出場停止から救うこととなったという。彼への罰則は、来季開幕から5試合の出場停止のみとなったのだ。
「さすがは日本人」「寛容の精神だ」などと、ダルビッシュの大人の態度が賞賛されているらしいのである。
まあ、そんなことには私はあまり興味がない。他人の美談は、飯がまずくなる。存在していいのは、自分が主人公の美談のみである。
ダルビッシュの立場だと、まさか「何言うとんじゃあ。オレの目のどこが細いんじゃあ。オレより不細工なくせに、ようも言うてくれたのぉ、ワレ。お前なんかワールドシリーズ出場停止じゃあ。罰金100万ドルじゃあ。思い知れえ!」などと言えるわけがない。よほど変な人でない限り、大人の対応をするだろう。
私が奇妙に思うのは、グリエルがキューバ出身であることだ。
私の偏見かも知れないが、人種差別というのは、白人、特に北欧あたりのリアムとかエルサといった名前の妖精みたいな美しい容姿をした人たちがするものだと思っていた。そういう人になら、「このアジア人め」と蔑視されても、私などは思わず納得してしまうのである。
キューバ人から「このアジア人め」と差別されれば、「いやいやいや、君は、キューバ人ではないか。差別される方だろ」と思わず思ってしまうのだ。「そもそも君たちには、アフリカ黒人奴隷と、平気で人身売買していた野蛮なスペイン人の血が入っているではないか。人のことが言えるようなルーツや歴史じゃないだろう」
そう言えば、韓国人が日本人に対して「猿」という蔑称をよく使うのだが、「いやいやいや、日本人以上に猿みたいな容貌の君たちが、なぜ日本人を猿と言うのだ? それはおかしいだろう。天に唾するという言葉を知らないのか?」と非常に不思議に思うのと同じである。
おそらく差別する心に、自分の人種や容貌は関係ないのだろう。
そう言えば、私はハゲなのだが、確かに不快な言動をするハゲのオッサンに対しては、「このハゲが!」と心の中でなじっている。人間というのは、自己中が基本であるようだ。