長いのは好きかね?
私は、つい記事のタイトルが長くなるという悪い癖がある。ブログのタイトルすらちょっと長い。頭が悪いのだろう。頭が良ければ、スパッと簡潔に書けるはずなのだ。
長いと言えば、私のオシッコの所要時間も長いのだが、まあ、そんなことには誰も興味はないだろう。興味のある方は、連絡をくれたまえ。平均所要時間と平均質量をお教えする。よければ現物も進呈しよう。
さて、小林よしのりさんは、ずいぶんと山尾志桜里さんが好きらしい。いや、私だって好きだ。最近は、若い女の子よりも熟女のほうが好みである。ただし、私は美人にはあまり興味がない。失礼ながら宮崎美子さんのような可愛いタイプがいいのである。正直、美人は妻だけで十分だ。従って、山尾志桜里さんは小林よしのりさんに任せようと思う。
で、かねてから小林よしのりさんは、山尾志桜里さんを全面支援しているのだが、その発言がなかなか過激である。
ワイドショーを「ゲスの勘繰りで楽しんでいる。邪推、嘲笑、罵詈雑言」と非難。倉持弁護士を政治顧問にしたことも「憲法改正に備えてのこと。与党の発議前に議論を挑むには、もう時間がないから、このタイミングしかなかった。それを後押ししたのはわしだ」と語っている。
そして、何より批判する人々に対して、こう言っている。
「わしの前で堂々と言えるか? 聖人君子ぶったクズどもが!」
人のことを「クズ」と断じるのは、なかなかできることではない。私も結構口が悪いが、「クズ」と言ったのは一回だけだ。言ったのはいいのだが、その後味は悪く、反省して、これからは「ゴミ」あるいは「カス」と言うことにしようと決めた。
ところで、この「聖人君子ぶったクズども」という言葉なのだが、私はちょっと首を傾げたのである。念のために言っておくが、カワイコぶって首を傾げたのではなく、疑問を感じて首を傾げたのだ。
この発言の意図を詳しく説明すると、「お前らだって不倫くらいするだろう? なのに聖人ぶって彼女を非難できるのか? お前たちには、彼女を責める資格はない」となる。
つまり、山尾志桜里さんが不倫していることを前提とする場合に、この「聖人君子ぶったクズども」は成立するのである。小林よしのりさんは、暗に「山尾志桜里は不倫した」と言っているのだ。
アウト~!である。
小林よしのりさんが使うべきは、不倫した人をなじることを諌める「聖人君子ぶるな」ではなく、匿名で悪意を投げつけるのはやめろという意味での「卑怯者」や「臆病者」という言葉だったのだ。
そうすれば、「わしの前で堂々と言えるか?」という文章ともうまくつながる。
「わしの前で堂々と言えるか? この卑怯者のクズどもが!」
うん、これでいい。これで意味的にもスッキリとまとまるのである。おそらく小林よしのりさんの内にも、「山尾志桜里、本当は不倫してたんだろうな」という認識があり、それがつい「聖人君子」という言葉につながったのだろう。
小林よしのりさんの言葉の過激さは、不倫していたことに対するガッカリ感を隠すためのものであると考えられる。悔しかったんだろうなあ。
いやあ、言葉というものは難しい。そして、恐ろしい。人の深層まであばいてしまう。
ちなみに、記事のタイトルが長くなる以外に、一つの言葉にこだわって細かいことをクドクド言い続けるというのも、私の悪い癖である。だから、女性にも嫌われる。やれやれ。