思えば、昔のブログはのどかだった。
来る人といえば、読者や相互リンクした人だけである。たまに目新しい人がコメントを付けても、それは「私のブログにも来てください」という営業だった。たいてい相手のURLをクリックした瞬間にエロサイトに飛ばされるのだ。
例えば、田舎道を歩いているようなものである。
「やあ、ゲンさん。今日も朝から精が出るのう」
午前中、顔見知りの爺さんと挨拶したあとは、ネコやらカラスと出会うだけである。たまに空き地に落ちているエロ本を見つけて、ニンマリしながら「やっぱりエロ本は買うものではないな。拾うものだ」などと呟いたりする。午後になって茶飲み友達と会って、日が沈むと、もう、誰とも会わないのだ。
ブログ黎明期に私のやっていたブログは、せいぜい一日のアクセスは100くらいだったと思う。それでも多い方ではなかったか。たまに週刊誌などに取り上げられて急激にアクセスが伸びることはあったが、それも瞬間的なものだった。
ところが、今は、様相が変わった。
その田舎にGoogleやYahooという高速道路が通ったのである。さらには、TwitterやFacebookなどという専用道路も敷設されたのである。検索やツイートやシェアを通じて、見も知らぬ人たちが一斉に押しかけて来るのだ。私のもとにもやってくる。
「サンフランシスコのリー市長の記事を読ませろ」
「山尾志桜里のラブホ写真、持ってるんなら見せてくれ」
「美女のウンコと婆さんのウンコ、見分けは付くのか!?」
などと検索に導かれた人たちが現れ、グングンとアクセスが伸びていく。そして、二三日過ぎるともうすっかりその姿は消えてしまい、元の静かなブログに戻る。そんなことの繰り返しなのだ。
直近の例で言うと、サンフランシスコのリー市長と慰安婦像についての記事に大量のアクセスがあった。大阪、京都、札幌、横浜。日本だけではない、昨日は、アメリカからも100以上のアクセスがあった。もしかすると国家安全保障局やCIAが探っているのではないか。ハウアーユー。アイアムノットテロリスト。サンフランシスコバンザイ!
二ヶ月近く前の記事なのだが、慰安婦像の受け入れに市長が調印したというニュースが流れたので、ピックアップされたのだろう。
いったい何人の人がリー市長を検索したのだろうか。
検索した人が全員私のブログに来るわけではない。検索ページをめくって私の記事に辿り着き、「バカっぽいタイトルだけど、とりあえず見てみるか」とクリックして初めてここに到着する。おそらく数百万人の人が「リー市長はどこじゃ」「リー市長のクソ野郎はどこじゃ」と検索したのではないか。
そう考えると、検索というのは恐ろしい。便利な一面、凶器にもなりうる道具だ。車と同じである。
検索があるがゆえに、傷つく人も多い。醜聞は一斉に世間に広がり、いつまでもネットの海を漂い続け、人が検索するたびにその醜聞は蘇る。おそらく10年経とうが20年経とうが、消え去ることはないのだろう。
好奇心を満足させるために、我々は検索し続けるのである。人は、検索せずにはいられない生き物なのだ。
そして何より、私自身、今日も検索するのである。すでに午前中、仕事で「メチルメルカプタン」について検索した。ひと仕事終えたら、久しぶりに「範田紗々」を検索してみようかと思う。
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