大賞は2本である。
「朝日新聞、死ね」
これは、日本維新の足立康史議員が、朝日新聞に対して発したツイートである。「加計開学へ これで決着とはならぬ」という調子こいた社説に対しての言葉だ。
いつもながら上から目線のタイトルである。「慰安婦捏造記事や、その他いろいろな捏造偏向報道で日本を貶めてごめんなさい。ただ、加計開学に関しては、ちょっと言いたいことがあるので言わせてください。お願いします」と書けと言いたい。
「朝日新聞、死ね」に関しては、朝日新聞やらコメンテーターは「怒りから出た一市民の止むに止まれぬ『日本死ね』と、議員の発した『死ね』は違う」などと言っていたようだが、言葉は言葉だ。同義として扱うべきである。
私も一市民として、朝日新聞に対して止むに止まれぬ怒りの声を上げたい。
「朝日新聞、死ね。さっさと死ね。今すぐ死ね。そして、イデオロギーと嘘にまみれた汚い言葉は二度と発するな」
もうひとつの大賞は、長崎県の黒田成彦・平戸市長がツイートした言葉だ。
「朝日、購読やめた!」
「平戸市長室では朝日新聞の購読をやめた。そして私はその報道姿勢を非難する立場をツイッターで表明している。これに対して『市長は公平公正であるべき』という声もあるが、誤報を垂れ流す広報媒体を排除することが公的立場にあると信じている」
ちょっと長いが、つまり「朝日、購読やめた!」である。
これは、「朝日新聞、死ね」よりも、具体的な効力がある点で素晴らしい言葉である。「え、まだ朝日新聞とってるの!?」とか「まさか、朝日新聞の購読者じゃないよね」などに発展する言葉なのである。
民進党の小西洋之議員は、「こりゃ目立つチャンスだ」とさっそくツイートを投稿し参戦した。
「『誤報を垂れ流す広報媒体を排除することが公的立場にあると信じている』とあるが、市長の個人的見解で特定の新聞を排除する行為は、市政における適切な情報収集を妨げるものとして住民監査請求の対象になり得るのではないか。また、まかり間違うと行政権力による言論弾圧にもなりかねない行為である」
つまらん意見だ。つまらなさ過ぎて屁も出ない。
印象操作をする朝日新聞の危険を無視して、「適切に情報収集しろ」というのは無理がある。適切な情報収集に役立たないから排除するのだ。当たり前のことではないか。特に最近の森友加計問題に関しての報道は異常だった。キチガイ新聞と言っても過言ではない。有害図書に指定してもいいくらいだ。
そもそも新聞からの情報収集なんて読売新聞と地元の新聞だけで十分足りる。朝日新聞は、なくてもまったく問題ないのである。税金の無駄遣いなのだ。「朝日、購読やめた!」と全国民が声を上げるべきなのだ。
朝日新聞が一部も配られない朝を想像してみたまえ。日本は、その時こそサヨクの浅はかな呪縛から解き放たれ、正々堂々、世界と向き合えるのである。
実に清々しいではないか。