キチガイという言葉を、テレビで聞くことはなくなった。自主規制用語である。
昔は、テレビでも一般の会話でもよく使われた。当時の使われ方としては、精神疾患というよりも、例えばアルコール依存症などでわめいたり暴れたりする人、乱暴ですぐに手が出る人などのことを「キチガイ」と称していたように思う。
私の小学生の時の同級生の父親がアルコール依存症で、よく学校に怒鳴り込んできたものだ。「あ、またキチガイが来よった」などと回りでヒソヒソ声が聞こえたりした。
今は、統合失調症や双極性障害、解離性障害など細分化され、ひとくくりに精神異常者と呼ぶこともなくなった。そうした概念もなくなったようだ。人道的にも正しい流れである。
ただ、「こいつはキチガイやろ」というケースはよく見かける。
自転車に乗りながら、スマホをいじっている連中だ。私も自転車にはよく乗るのだが、そうしたキチガイをよく見かける。どう考えても正常ではない。スマホを見れば、当然、注意はおろそかになる。となれば、事故を起こす確率も増える。
当たり前のことである。
その当たり前のことが理解できない、もしくは理解できているのにスマホをいじるのをやめようとしないのは、これは、人間としてどこかに欠陥があるということだ。酒を飲んで車を運転する連中と同じである。
電動自転車に乗り、77歳の女性にぶつかって死なせた20歳の女子大生がいる。川崎市麻生区で7日に起こった事故である。
彼女は驚いたことに、左耳にイヤホンをつけ、左手にスマホを、右手には飲み物を持っていたという。当然、ブレーキを握れない状況だ。
間違いなくキチガイである。
非常識とかモラルの欠如とか、そんな言葉では言い表せないほど愚かな行動だ。よそ見以前に、きちんと運転できない状況である。まさにキチガイ。キチガイほど、彼女にピッタリとくる言葉はないのではないか。
例えば、私から見れば土下座を強要するクレーマーもキチガイだし、モンスターペアレントもキチガイだ。太鼓をドンドコ叩いて不細工なラップを歌って共感を得られると考えていたSEALsの連中もキチガイだし、日本を貶めることに必死の中国や韓国もキチガイである。
精神異常という意味で使われなくなった今、キチガイという言葉を、復活させてもいいのではないか。それほど「キチガイ」がぴったり来る人々が増えてきたのである。
さて、事故を起こして人を死なせた彼女には、莫大な賠償請求が行われる。今頃後悔しているだろうが、遅すぎるのだ。後悔先に立たず。はまった後で井戸の蓋をする。Repentance comes too lateである。
両耳にイヤホンをつけていなかったのは、「禁止されている」という意識があったのだろう。だが、片耳だからOKではないのだ。片耳でも注意力は散漫になるし、取締の対象になる。「片耳やから、ええんとちゃうの」などというのはキチガイの戯言である。お気をつけいただきたい。
ちなみに、こういう非常識な乗り方を聞くと、「うーん、私だったらもっとスゴイ乗り方を」と考えてしまうのが私の悪い癖である。右手にラッパ、左手にタンバリン、背中には太鼓を背負ってなどと妄想が膨らみ、「お前はチンドン屋か」と自分に突っ込んで終了した。実にバカバカしい。