新しいメガネが完成して、今はそれをかけている。ラルフローレンのフレームだ。
例えば、新しい腕時計なら時々腕を振り上げて「ほお、オシャレじゃないか」などと満足したり、ジャケットであれば、見下ろして「ほお、このシルエットと色合い、なかなかいいじゃないか」などとほくそ笑んだりするのだが、メガネはいけない。
メガネは鏡でしか確認できない。当然、顔が目に入る。
「うーん。相変わらず不細工な顔だなあ」などとメガネよりも先に、顔の出来にガッカリするのである。「メガネを替えても不細工はかわらんよなあ」
こうなると、わざわざ高い金をかける必要などないような気がする。一番安いフレームと、一番安いレンズの組み合わせで十分なのだ。ネットでは「こんな顔の人には、こんなメガネが似合う!」などという記事があるが、不細工はどんなメガネをかけても似合わないのである。むしろ不細工が増す。
見栄を張ってレイバンのメガネをかけていても、レイバンのメガネをかけた不細工な人でしかないのだ。「メガネ(だけ)はカッコイイですね」状態である。ガックリだ。
そもそもメガネは、レイバンだラルフローレンだと言ったところで、ほとんどの人には判別できない。せっかく金を高めに払ったのに、その甲斐がないのだ。第一、レイバンは少しロゴが目立ったが、ラルフローレンなど小さい文字がチョロッである。全然目立たないのだ。
そう言えば、佐野洋子さんの「そうはいかない」という、非常に勢いがあるタイトルのエッセイ本があって、その中に、3千万円を騙し取られた見栄っ張りの友人が出てくる話がある。「めがね」というタイトルだ。
お金を騙し取られて貧乏だからゆえ、前にも増して見栄を張ろうとする。以前なら「本当はこんなものを食べるような身分じゃないのよ」と余裕で食べていたのり弁も、貧乏な今は食べている途中で惨めで涙が出てくる。
そのおばさん、メガネにブランドのシールを貼り付けたままだ。佐野洋子さんがそれを指摘する。
「あんた、その眼鏡、変なものが貼りついているよ。はがしなよ」
「何を言うのよ、これ、ゴルチエよ、これがなかったらゴルチエってわからないでしょ。私ね、お金がなくなってみじめだからこうしているの」
結局、そのおばさんは最後までシールをはがさない。メガネにシールを貼り付けたままでいる人など滑稽には違いないのだが、私には、このおばさんの気持ちがよくわかる。ブランドというものは、他者にアピールできなければ意味がないのである。
まあ、ラルフローレンは、能天気でがさつで無神経なアメリカのブランドであって、アピールするほどのブランドではないのだが……。
ちなみに先週の打ち合わせで、私はラルフローレンのボクサーパンツにチノパン。シャツもジャケットもラルフローレンで、さらにはラルフローレンのメガネという出で立ちだったのだが、誰も気付いてくれなかった。
「ははは、気付かれてしまったか。実は、上から下までラルフローレン。メガネもそうだ。実を言うと、ほら、こいつも」とズボンのチャックを下ろしてパンツを見せるギャグまで考えていたのに、実にガックリである。
やっぱりブランドがひと目でわかるようにタグとシールは付けておくべきだな、と私は思った。