「無知の知」という言葉がある。ムチムチという言葉に似ているが、似て非なる言葉である。ちなみに私は、ムチムチが大好きだ。
「無知の知」とは、ソクラテスの教えで、「自分が無知であることを知ってる者が一番賢い」という意味らしい。
ただし、私の回りに「自分は馬鹿だから」といつも仕事の失敗を弁解している人がいるのだが、その人は本物の馬鹿だと思う。とても、無知の知とは思えない。いい加減、原稿の裏表を間違えてコピーを取るのはやめろと言いたい。
私も馬鹿を自認しているが、やはり無知の知とはほど遠い存在だ。普通の人が本来知っているべき知識の、おそらく3割くらいしか知らないのではないか。福井県がどこにあるのか知らないし、福山県があるのかないのかあやふやだ。
非常に博学な人が「自分は無知である」と語って初めて「無知の知」になるのだと思う。
以前、そんな自分を反省して、子供向きの本を何冊か読んだことがある。専門書は無理だが、子供向きなら大丈夫だろうと考えたのだ。その中の一冊に科学の本があり、「ほお、そうだったのか」と感心することがあった。
音速は、秒速約340メートルなのだそうだ。意外に遅いなと感じたのであるが、とは言えウサイン・ボルトでも秒速にすると約12メートルだ。かなり頑張らないと音速は超えられない。そう考えると、音というのはスゴイものだなあと感心したのである。
音速は、秒速約340メートル。その知識を知った以上は活用したいのが人間のサガというものである。私は、馬鹿であるが故に人から賢いと思われたい気持ちが人一倍強い。かなり本気でその方法を考えた。
雷が落ちた時などはどうだろうか?
女の子とデート中だとしよう。あたりがピカッと光って落雷を知る。「キャッ」などと可愛い声を上げて、女の子がしがみついてくる。私は、心のなかで数を数える。雷鳴が轟き、私は「ふん、6秒か」とつぶやきながら、340✕6の答えを出す。
「大丈夫だよ。雷が落ちたのは、遠くだ。約2キロ先だよ」
「え、そんなことがわかるの?」
「ああ、音の速度は秒速340メートル。ピカッと光ってから、約6秒で雷鳴がしたからね。簡単な推論だよ」
女の子は尊敬の眼差しで私を見て、つかんだ腕にギュッと力を込めて私を引き寄せ、豊満なオッパイを私の腕に押し付けるというところまでシミュレーションしたのだが、残念ながらそういうシチュエーションに至ったことはない。
音速が秒速340メートルという知識は、いまだ無用の知識のままだ。残念至極である。