まあ、最近は、何でもかんでも病気にする。昔は、パチンコにはまって人生を狂わす人間など、クズだバカだポンポコピーだと笑われたものだが、今は立派なギャンブル依存症にかかった病人なのだ。
まあ、人間、誰しも依存する一面はあって、かく言う私も活字に依存している。
ちょっと前に活字中毒などという言葉が流行ったのだが、常に読むものがなければ不安であり、少しの時間も活字を読もうとする。トイレはもちろん、歩いていても活字に渇望しているものだから、店の看板、道路標識などを読み漁り、それでも足りなくて文庫本を読みながら歩いて車にひかれて死んでしまうのだ。
命の危険もあり得る立派な依存症の一種である。
さて、世界保健機関(WHO)が、ネットゲームへの過度な依存を病気と指定した。その定義として「他の興味や活動よりも、ゲームを優先させる」「ゲームをする衝動が止められない」「問題が起きているのに、ゲームを続けたり、プレー時間を増やしたりする」「個人や家族、社会、学習、仕事などに重大な問題が生じている」を挙げている。
私の知り合いに、他の趣味や活動よりも風俗を優先させたり、風俗に行く衝動が止められない人がいるのだが、じゃあ、あれは風俗依存症なんだな。山登りが好きで、そのために一部上場企業を辞めた男は、きっと山登り依存症なのだ。
世界保健機関の言っていることは、ちょっと浅はかなのではないか。
私は、クマラスワミというスリランカのオバハンが「日本は性奴隷を使っていた」と報告して以来、国際的な組織をまったく信用していない。世界保健機関というのも、おそらく世界人権会議やユネスコと同様のレベルの低い組織なのだろう。
ネットゲームをやる人には、依存症的な人が多いのは確かだ。だが、それはネットゲームだから依存症になったのではなく、例えばパチンコでも競馬でもショッピングでも同じことだ。根源は、一つなのである。
それをいちいち対象の名前を付けてもったいぶって発表するのは、女子力や歴女、イクメンなどと言った「日本死ね」のユーキャンが毎年発表している流行語大賞的な発想、もしくは嬉しがりの精神があるのだろう。
先程も書いたが、こうした依存症的な行動の根源は一つなのではないか。
それが社会や人との関わりにおいての未熟さ、精神的な未発達にあるのかどうかは知らないが、一つひとつにアルコール依存症だギャンブル依存症だネトゲ依存症だと名前を付けるのは、根源をあやふやにするだけではないかと思う。
いや、何を書きたいのか途中でわからなくなってきた。
よく考えれば、私は、パソコンゲームにはじまって、ファミコン、セガサターン、プレステ、PSP、3DSとゲームをやり続けているのだが、ネトゲはやったことがない。やったことがないのにこうして「ネトゲ依存症に異議あり!」と言うのもおかしなことで、そろそろ打鍵をやめるのである。
もうおわかりだろうが、私は、読むだけではなく書く方でも活字依存症なのだ。死ぬまで書き続ける病気である。誰か治してくれんか。