「相棒」はずっと見ている。
愛着というか、惰性というか、わかりにくく説明すると、「相棒」はゴムが伸びきったパンツである。ズボンと一緒に脱げてしまい、診察室でスッポンポンになって看護士に笑われてしまうのだ。
なに、わからない? だから、わかりにくく説明すると言っている。まあ、幼児が自分のにおいの染み付いたタオルに愛着を持つようなものだ。
さて、シーズン17の最終回「新世界より」だ。
どうも、スペシャルになると力が入るのか、正直、空回りしているような感じである。
「新世界」は、まず、犯人の動機と行動がしっくりこない。
SNSのせいで娘が自殺した。科学の発展が娘を殺したのだ。だから、ワシは、反科学主義の団体を作ってやる。だから、SNSの大元であるIT会社に致死率100%のウイルスをばらまいてやるのだ。人類なんか、滅びたらええんじゃーっ。
うーん、これは、ちょっと無理があるのではないか。
で、なぜ、ウイルスなのかという問題である。
実は、この物語の重要な存在として、「沈む天体」という小説がある。かつて犯人とともにIT企業を作ったおっさんが書いた小説だ。その作品では、ウイルスがまかれて、人類は、ごく少数の人間を残して絶滅してしまっている。
もう一つの重要な存在が、その「沈む天体」を事実と信じ込む少年と少女だ。彼らは、人類の滅亡を防ぐために、ウイルスを研究している教授を殺そうとするのである。
ドラマでは、この「沈む天体」がさらっと流されていて、私は、思わずテレビ画面に向かって叫んだのだ。「なにをさらっと流しとるんですかーっ。この小説が一番重要なポイントでしょうがーっ。『ターミネーター』をあんたらは、見たことがないんかーっ」
ターミネーターでは、核戦争の場面やターミネーターに踏み潰される頭蓋骨が何度も出た。あのシーンによって、「あんな世界にしてはいけない」という主人公たちの行動理念に共感することができたのだ。
このドラマでも、ウイルスで絶滅した世界を見せることが必要不可欠だった。
血を吐き苦しむ人々、ただれた皮膚、道に折り重なる死体、頭蓋骨からポロッと落ちる眼球。そんな悪夢を見て、思わず悲鳴を上げながら飛び起きる少女。それを抱きしめる少年。
こうしたシーンがあれば、後半に出てくる「僕たちは、2070年の未来から来た」というセリフに、少しはリアリティが出てくるのである。「このままでは地球は滅びる」という少年の焦りや怒りが伝わってくるのである。そして、今まさにパンデミックが起ころうとするシーンに緊迫感を与えられるのである。
ああ、残念無念。
まあ、今回の見所は、ウイルスをまいて大量殺人をしようとした反科学主義のおっさんよりも、地球は滅亡したのだと嘘を付き、子供たちを人の訪れない閉鎖的な地域に閉じ込めていた小説家の行動であり、これはこれで面白い題材だと思う。
ちなみに、これまでの「相棒」の相棒別のベスト作品をあげていくと、亀山薫は「監禁」。神戸尊は「ボーダーライン」。甲斐享は「バースデー」と言ったところである。「右京さんの友達」や「待ちぼうけ」など、甲斐享のシーズンは、結構できのいい作品が多い。冠城亘は、これらのベスト作品に匹敵するような作品は、まだないように思う。今回の「新世界より」も、残念ながら落選だ。
幽霊ならいいのだが、未来人は「相棒」には徹底的に合わない。
これで最後に花の里の女将が出てきて、「やっぱり未来人じゃなかったんですねぇ。私、ちょっと期待してたんですけど」などと言ってくれたら、少しは違和感が和らぐのだが……。もう、月本幸子はいないのである。
とりあえず、マツコ・デラックスさんでいいから、花の里の早急な復帰をお願いしたい。