私は、退職届のプロである。8回、経験している。
まあ、広告業界の人間だから、給与のいい会社やレベルの高い仕事ができる環境を追い求めるのは仕方がないのだ。入社してみて「ああ、この会社じゃ、ろくな経験積めないな」とわかると、だいたい3ヶ月くらいで辞めていた。
ただ、そのうち一社は、向こうから首を切ってきた。私があまりに漢字を知らず、校正がまともにできなかったからである。
「あのなあ、にいちゃん。なんで生活保護が、生活ホモやねん。なんでこんなん見逃すねん。そもそも誤変換にもほどがあるやろが。お前、わざとやっとんとちゃうか」
私としては生活ホモのほうが面白いという確信があったのだが、世間的にはそうではなかったのだ。そもそも私は、「漢字など知らなくても文章は書ける」派だったから、正直、校正などどうでも良かったのである。今でも校正は苦手だ。
さて、山形県の67歳の爺さんが、ある日、退職届を出した。この爺さん、市民体育館の館長である。
「え、どうしてですか?」
驚く部下たちに、爺さんはこう答えた。
「そのうちに分かる」
なんと秘密めいたセリフだろうか。もしかすると、そのセリフを言いながら、遠い目をして、フッと笑ったのかもしれない。実に、ハードボイルドではないか。私は、草刈正雄で再生した。
で、後日、辞職した理由が判明した。秋田県内の宿泊施設で10代の女性の胸などを触った疑いで逮捕されていたのだ。
「やばいやばい。捕まってしもたがな。しかも、相手は10代の女の子や。ロリコン確定でんがな。懲戒解雇待ったなしやがな。ええい、こうなったら先に辞めたろ。退職金出るし、荷物、先に持って帰っといたら職場に顔出さんでええやろし」
確かに、先に辞めておくというのは正しい選択かもしれない。だが、セリフがかっこよすぎである。
「辞める理由は、そのうち分かる」
おそらく部下の中には、「ああ、きっと不治の病なんだな。だけど弱みを見せたくなくて黙って辞めていくんだ」と思った人もいるはずである。そしたら、あなた。10代の少女にわいせつ行為ですよ。
なんという詐欺的なセリフであるか。草刈正雄で再生して損をした。温水洋一で十分なのだ。まあ、脳内再生に出演料はいらないから、草刈正雄でもトム・クルーズでもいいんだが……。
このセリフを知ってから、私も、もう一度退職届を出したくなってきた。私なら、もっとかっこいいセリフを言ってやるのに、と色々なシチュエーションで案を練っているのである。
だが、退職届を出すには、まず、どこかに勤めなきゃあな。
誰か、私を雇ってくれんか。