いやあ、見たくないものを見てしまった。
私は、基本的に醜いもの不快なものは見たくない派である。「誰でもそうだ」とあなたは突っ込むかもしれない。だが、それは間違いだ。醜いものを見たがる人も多いのである。俗に言う怖い物見たさであるが、私は怖い物は見たくないのだ。
例えば、最近ニュースでよく流れるあおり運転の映像だが、私は、ああいうのはすぐにチャンネルを変える。不快、というか怖いのである。警察に密着した24時間なんちゃらとかいう番組も嫌いである。登場するのは理解不能の生き物たちで、とても人間とは思えないのだ。あんな連中がこの世に存在していると考えるだけで寒気がする。
ドラマならいい。問題はない。だが、リアルな映像は受け付けないのだ。
さて、国連気候行動サミットで演説したグレタ・トゥンべリさんの演説も、私は途中で映像を停止させた。見たくない人物としては、一躍トップクラスに躍り出たのである。
あなたは、あの演説を見たか? 私からすると、もう、怒りと憎しみだけで生きているような印象だった。ヘイトフェイスという名で、バットマンの敵役として登場するにふさわしい顔なのである。
もちろん、それが狙いだったのだろう。演技過多ではあるが、16歳という年齢でそれが表現できるのはたいしたものである。そして、言うまでもなく普段からあんな表情をしているわけはないだろうし、16歳らしい部分もあるはずだ。
だが、率直に言って見たくない。人間として醜く映る。さらに彼女の後ろにいる大人たちの顔を思い浮かべると、極めて醜く、救いようのない現実というものに直面してしまうのだ。大人は汚い、その象徴が環境少女グレタ・トゥンベリなのである。
朝日新聞は、グレタ・トゥンベリさんが大好きなようで、夕刊の「素粒子」にこんなことを書いていた。
▼16歳、グレタさんの真っすぐな言葉とまなざし。それに引き換え、大人たちの「空っぽな言葉」は相変わらずだ。
私のように心の汚れた助平男には、真っすぐな言葉とまなざしではなく、憎しみに満ちた言葉とまなざしに見えてしまうのだ。なぜ、あんな表情で語る人間になってしまったのか? 残念で仕方がない。
そう感じる心の汚れた助平男は他にもいるようで、例えばマースコット・モリソン豪首相は、「国連気候行動サミット に出席しなくてよかった。ヒスを起こして地球の終わりを絶叫する子供のレクチャーなど要らない」と語ったらしいし、英国労働党コービン党首の兄であるピアーズ・コービン氏は、グレタさんを "洗脳された無知な子供" と評し「私は科学者だが彼女の言うことは間違い。彼女は、彼女を利用する大人に虐待されている」と語っている。
グレタさんは、そうした反応や右派メディアの批判や中傷を受けて、こんなTweetを発信した。
▼なぜ大人たちは、子供が科学を奨励するのをあざ笑ったり脅したりすることに時間を費やそうとするのか、正直言って理解できない。
自分のことを「子供」と言っているあたりに違和感があるのだが、これについては原文を知らないのでとりあえずはスルーする。ちなみに上記の批判の文章も事実かどうかはわからない。翻訳がヘタクソだしフェイクの可能性もある。
ただ正直に言うと、批判する人もいるという点に、まだ救いを感じる。どうも最近は、こういう環境や人間に優しいリベラルな人を批判すること自体が「やってはいけないこと」と捉えられているような気がして、ちょっと怖いのである。
グレタさんは、どうせノーベル平和賞をもらうのだろう。そして、ますますヘイトフェイスに磨きをかけ、私のような汚れた大人たちを憎しみの目でにらみつけるのだ。トランプ大統領をにらんだように。
ああ、いやだいやだ。女の子のこんな表情を目にするとは、なんと不幸で気持ちの悪い世界なのか。地球温暖化は、完全に政治の道具になった。いや、宗教の道具か。16歳の無知な女の子を国連総会に出すことで、少なくとも科学の領域ではなくなったのだ。なにがSDGsだ。馬鹿者めっ。
長生きなんてするもんじゃないなと心底思う。