だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

成人式嫌いの成人式。

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成人式は嫌いである。だから、行かなかった。

私は、ロープシンの「蒼ざめた馬」を読んで感化され、志望する職業をエンジニアからテロリストに変えた男である。国が主催する成人式などに行けるものか。

まあ、当時の成人式など市長や市会議員のくだらない話を聞いて、紅白饅頭と国語辞典をもらって帰るだけのショボいイベントだったのだが。

あなたね、二十歳の若者が紅白饅頭と国語辞典をもらって喜ぶとでもお思いか。それでは子供ではないか。成人というのなら、せめてとらやの羊羹とエロ本にしろよと思うのである。

よく聞くのが「友達に会えるから」という理由だが、私は仲のいい高校時代のクラスメートには週末に会っていたし、それ以外の連中とは別に会いたいとは思わないのだ。馬鹿馬鹿しい。

最近は、ディズニーランドやら甲子園球場やらが会場だったり、それなりにエンタメ的な要素があったりして楽しめるようなのだが、いやいや、それはそれでおかしいでしょうが。なぜ、成人たちに迎合する必要があるのか。情けない。そんなことだから、なめられる。酒を飲んで暴れるDQNたちは馬鹿だが、主催する大人たちも馬鹿なのだ。

成人式は、大人になるための儀礼である。だったら、それは試練であるべきなのだ。

マサイ族はライオン狩りに出かけるし、パプアニューギニアではサメを素手で捕らえる。有名なのはバヌアツ共和国バンジージャンプである。勇気を試さずに、何が成人式か。

日本も彼らを見習うべきである。例えば、成人を迎えた連中で暴力団員をぶん殴りに行くとか、住宅街に現れるイノシシやニホンザルを退治するとか、痴漢や盗撮犯を追い詰めるとか、自らの勇気を示す儀式にすべきなのだ。それでこそ、自分の中に大人になったという実感が芽生えるのだ。

ちなみに私は、成人の日に電車で二時間ほどの場所にある大学まで歩いて出かけた。特に意味はなく単なる思いつきだ。道に迷ったせいもあって、家にたどり着いたのは翌朝である。全身が痛んだのだが、特に足の裏に出来たまめがつぶれて、ズルズルのベロベロになってしまったのがとてつもなく痛かった。

で、そんな苦痛を受けて大人になったという実感を得られたかというと、まったく得られなかったのである。それから何十年もたったが、いまだに大人になったという自覚がないままだ。

ま、セレモニーとは、そんなもんである。