だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

死を側に、孤独を友に生きて行く(タイトル盗作)

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テレビで志村けんが死んだとか言っていて、一瞬、あたりが真空状態になった。

耳がキーンとなって、呼吸ができなくなった。このままでは自分も死んでしまう、と「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」と呪文を唱え、一命をとりとめたのである。超高血圧だから、死は、身近な存在なのだ。おまけに頻尿である。

まあ、そもそもこの年齢になると、知り合いや親戚がよく死ぬ。少し前にも死んだ。不思議なことではない。年寄りには当たり前のことである。誰かが死ぬのが日常になるのだ。

「異常も日々続くと日常になる」、コピーライターとしては糸井重里さんより優秀だった中畑貴志さんが書いたコピーである。まさにその通りだ。「あれ? 最近誰も死んでないな」と死んでない方が不思議に思えてくるのである。

この間死んだのは、会社勤めをしていた頃の同僚で、私よりも文章力がありセンスも良かった。もう、何十年も会っていなかったのだが、死んだという連絡だけは入った。そう言えば、その少し前には昔一緒に仕事をしていた絵描きが死んだ。

ま、誰でもいつかは死ぬ。

死ぬのはいいのだが、「◯◯さん、死んだらしいよ」とまったく付き合いのなかった人の死まで情報が入るというのはあまり好きではない。知り合いの死に心が乱れるからではない。

つい、自分が死んだ時のことまで想像してしまうからだ。

「あのおっさん、死んだってさ」

「え、ホンマかいな。死因は?」

天神橋筋商店街で、雨に濡れた路面ですべってころんで頭打って死にはった」

「えーっ、なんと地味な死に方や。『わし、死ぬ時はヤクザと政治家と坊主を100人くらい道連れにして死んでやるのであります』とか、よう言うてはったのに。そう言うたら、あの人、ハゲになったあたりから精彩がなくなってたんちゃうか」

「あんなブサイクな顔して、意外とナルシストやったからなあ」

そんな会話を想像し、思わず「失礼でしょうが~っ」と叫んでしまうのである。おちおち死んでもいられない。こうなったら、知り合いが全員死ぬまで生き続ける覚悟である。

しょっちゅう誰かが死ぬもんだから、知り合いとの電話では「次は、誰だろうな」という会話になる。不謹慎だが、これが結構面白い。

「只野さんではないか?」と私は、挨拶もろくにしない態度の大きいオッサンの名前を口にする。

独善的な男で、「ローマ字打ちの方がカナ打ちよりも速く打てる」と言って聞かなかった男だ。初心者にはローマ字打ちの方が覚えるキーが少なくて早く覚えられる、というのをどこかで読んで勘違いしているのだ。ツーストロークのローマ字打ちよりも、ワンストロークのカナ打ちの方が速いに決まっているではないか。競争したら私の方が圧倒的に速かったのだが、それでも「今日は調子が悪い」と認めなかった。

「いや、憎まれっ子世にはばかると言うで。ああいう嫌われ者は、長生きするんちゃうか」

「そう言えば、善人は早死すると『銀河英雄伝説』でも言ってたな。その言葉の通り、ジークフリード・キルヒアイスは早死にしてしまった。我々の知り合いの中で、一番の善人は誰だ?」

「ボランティアをやってる高山くんとちゃうか? 昔から点字の翻訳とかやってるし。階段の前で困ってる婆さんをおぶって上っていくの見たことあるわ。そういうたら、子供が東大らしいで」

「なにっ。善人の上に子供が東大となっ。それはけしからん。よし、次に死ぬのは高山くんに決定だ」

などと馬鹿な話をして「じゃあ、また」と電話を切る。こういう馬鹿な話のネタにならないためにも、誰よりも長生きする必要があるのだ。

「善人じゃダメなんだ、早死にしてしまう」と呟きながら、善人にならないためにはどうすればいいのかを考える。ふだんは善人だから、いざ考えてみると結構むずかしい。

「よしっ」

私は、今日やることのリストに「帰り道に誰も見ていない場所でこっそり立小便する」「駅前に置いてある自転車に当たったふりをして倒す」「商店街でもらったチラシをカバンに入れる演技をしながらポイ捨てする」と書き加えた。

長生きするのも、結構大変なのだ。