だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

朝日新聞は、阪神支局襲撃事件を毎年特集するのはいいのだが、それなら慰安婦捏造報道の特集も毎年やってくれよと思うのである。

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人間、反省は必要である。

私だって小学生の頃ウンコを漏らした経験から、なぜ漏らしてしまったのかと詳細に検証し、危機管理能力の欠如を反省し、そうすることで、あまりウンコを漏らさない立派な大人へと成長することができた。

記憶というものが反復することにより定着するのと同様、反省も反復が必要だ。反復しなければ、記憶も反省も薄れていくのである。

さて、朝日新聞の朝刊に「言論の自由守り抜く、決意新た 阪神支局襲撃から33年」などという記事が載っていた。

ご存じない方も多いだろうが、これは1987年の憲法記念日の夜、散弾銃を持った男が朝日新聞阪神支局に侵入し、発砲した事件である。一人の記者が亡くなった。いまだ犯人は見つかっていない。

もちろん忘れてはならない事件であり、毎年、犯行のあった時期に特集を組むのは理解できるのだが、だったら朝日新聞慰安婦捏造報道(朝日新聞誤報と強弁)についても反省の特集を毎年組めよ、と思うのである。

自分が被害者であるケースでは盛んに言いつのるくせに、自分が加害者のケースでは口をつぐむ。それでは、世間の誰からも信用されない。そして、反省を繰り返さないから、自分の行った愚行の記憶は薄れていき、反省が身につくことはないのである。いつまでも恥知らずなままなのだ。そもそもあのスタンスでの記事は、「誤報」はあり得ない。明らかに捏造なのだ。反省の初手から間違えている。

例えば、朝日新聞の一面に「慰安婦捏造報道をお詫びします」と必ず掲載し、名刺にも同じフレーズを入れ、自己紹介する際には「慰安婦捏造報道でご迷惑をおかけした朝日新聞の山田です。申し訳ありませんでした」と反省の弁を口にする。そこまでしてはじめて反省が身につくのである。

捏造報道を深く反省する朝日新聞」というフレーズをCIに取り入れてはどうか。それなら朝日新聞天声人語や社説、特に皮肉的な視点がイヤらしく面白くもなんともない「素粒子」なども少しはマシになるだろう。

JR西日本だってそうだ。

あの福知山線脱線事故の原因は、彼らが長年に渡り続けていた日勤教育という陰湿な社内いじめにある。あの事故は、日勤教育に怯えた運転士が起こした、半ば自殺だったのである。プロの運転士である以上「このスピードなら脱線するかもしれない」という意識はあったはずで、それでも彼はスピードを上げ続けたのだ。追い詰められたときに自暴自棄になるのは、これは誰でも経験があるのではないか。

だが、JR西日本は、事故の反省は毎年するものの日勤教育への反省はしない。今年の事故の報道でも、私が知る限りJR西日本からの日勤教育の反省の弁はなかった。すでにそんなもの忘れているのだろう。だから、事故への反省も身につかず、異音が出てもそのまま走り続けるような事案を出してしまう。

反省するだけではダメなのだ。反省を活かすためには、常にその反省を繰り返し、自らを戒める必要がある。それができて初めて、あまりウンコを漏らさない立派な大人になることができるのだ。朝日新聞JR西日本も、少しは私を見習えと思うのである。