私は、パチンコをやらない。
実は、若い頃はやっていたのだが、フィーバーに入れ替わった時点でやめた。当時は、終了まで行き着くのは大変だが、3,000円くらいなら、ほぼ確実に稼げた。小遣い稼ぎにやっていたのである。
だが、そもそもパチンコという名前の中に「チンコ」が入っていることに抵抗はあった。私のような美意識にたけた男がパチンコなどという遊戯をやっていいのだろうか。どう考えても美意識に反するネーミングなのだ。
例えば、トム・クルーズはかっこいいが、あれがトム・チンコだったらどうか? 少なくとも日本人なら誰もかっこいいとは思わないはずだ。「あら、卑猥」と思い、ミッション:インポッシブルだって見る気になれないだろう。きっと「ミッション・インポだって!? チンコが主演のインポ映画だと!? 卑猥極まりないっ」と敬遠されたはずだ。
さて、コロナ禍の影響で、随分とパチンコが叩かれている。まあ、当然だ。
女子アナウンサーが「パチンコ」と言うたびに「へへへ、チンコやて」などとヨダレを垂らす変態以外は、パチンコが叩かれている状況に不満は感じないはずだ。むしろ、もっと叩かれろと考えている人も多いだろう。
私が若い頃にやっていたパチンコというのは、羽根物といって、釘や台の波を見ることができる人間なら、たいてい勝てる仕様だった。なぜ負けるのかが不思議なくらいである。
だが、フィーバーはいけない。
最初の頃は必勝の打ち方があったようだが、今はもうないのではないか。パチンコメーカーの開発の人間に聞いたことがあるのだが、「激アツの演出でいかにはめるかが腕の見せ所」であって、パチンコ台は、依存症製造機といっても過言ではないのだ。
だから、コロナ感染の心配があろうが、世間から蔑みの目で見られようが行ってしまうのである。子供が飢えようが車に放置されて熱中症で死のうが関係ないのである。もはや彼らは異常者なのだ。おそらく彼らは、「パチンコ」が「パチンポ」になってもやめられないのだろう。
「おう、パチンポ行こか」と大声で言いながら、パチンポ屋までの道のりをウキウキと出かけるに違いないのだ。
うーん。
本当は、パチンコをギャンブルではなく遊戯と解釈する日本の法律の欺瞞と換金所に関する警察の悪代官振り、さらにはカジノには反対するがパチンコは見て見ぬ振りをする国会議員のダブルスタンダードについて書くはずだったのだが、もう、すでに文字数が多い。
今日のところは、このくらいにしてやるのである。