だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

アサヒ脳の怖さを知れ。稲垣えみ子著「アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと」

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国民の皆さんにお詫びしなければならないのだが、私は、この40年来、朝日新聞購読者である。自分で自分を殴ってやりたいほど情けない。一身上の都合であるが、一生の不覚でもある。死ねば地獄行き間違いなしなのだ。

で、この間図書館をウロウロしていて、ふと目に入ったのが「アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと」という本である。著者は稲垣えみ子さんで、表紙にはアフロヘアの女性が載っている。

ん? この顔、というかアフロヘアには記憶があるぞ。朝日新聞の記事で見たことがある。年末年始はたくさん借りられるようだし、まあ、借りてもこの著者に金が入ることはなかろう。これ以上朝日新聞関連で金を盗られてたまるものか。

一読して、アサヒ脳というのがよくわかりました。

一例を挙げると橋下元大阪府知事についての文章である。当時、橋下さんは全国初の「君が代条例案」を打ち出していた。公立学校の教師が君が代で起立しないことに対して、「ちょっと君、おかしいんとちゃうの」という条例案である。

私からすれば至極真っ当な条例なのだが、反日朝日新聞としては、君が代は国民を戦争に巻き込み多くの人を死に追いやったけしからん歌である。同じ空気を吸うのも気持ちが悪いほど嫌いな天皇を称える歌でもある。これは、なんとしても橋下をギャフンと言わせなあかんと言うわけである。

だが、当時の橋下さんはそのまま世界大統領になってしまうのではないかと言うほどの人気だった。対策に悩む日々の中、ふとこんな戦略を思いついた。ちょっと抜き出してみよう。

▼条例制定は「府民の総意」と繰り返す橋下氏に、争点になったわけでもない君が代強制がホントに府民の総意なのか突きつけようと思ったのだ。維新の会に投票した人は既得権に切り込む橋下氏の改革力に期待したのであって、君が代強制に期待したのではないはずだ。

皆さん、いいですか。これがアサヒ脳です。

考えなくてもわかるようなことが、全然わかってない。国民の多くが朝日新聞と同様の左翼的思想を信じていると思い込んでいる。人間、思い込みほど危険で不様で恥ずかしい姿勢はありません。

思い込みで動いた結果、どうなったか?

▼記者が街に出て、維新の会に投票した人を探し条例への是非を聞いて回った。我ながらなかなかのアイデアだ。結果は思ってもみないものだった。30人中26人が「君が代条例」に賛成。当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしいという。ショックだった。正直、6~7割が「反対」と答えると思っていた。良心的な日本人にとって、国内外に大きな犠牲をもたらした戦争とつながる国旗・国歌の強制は根源的に受け入れられないものと信じていた。その人たちこそ朝日新聞の読者だと思っていた。だが、そんな人たちは、もはや1割しかいないのだ。良心的な世論をリードしているつもりが、振り返ってみたら誰もいなかったのである。

いや、この部分、朝日新聞の体質を明確に表した文章に思えて、つい、長々と引用してしまった。

いいですか、もう一度言います。皆さん、これがアサヒ脳です。

良心的な日本人。国内外に大きな犠牲をもたらした戦争。その人たちこそ朝日新聞の読者。(朝日新聞は)良心的な世論をリードしている。

いやあ、上から目線が丸出しである。パンツ丸出しは許せても上から目線丸出しは許せない。ここまで来ると選民思想と言っても過言ではないのだ。しかも、「当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしい」という多くの人の意見には、何も語っていないのである。語られているのは「でもでも」「戦争が~」という自己主張のみなのだ。

おそらくこの人、生まれついてのエリートなのだろう。昔、朝日新聞の記者に「大学はどこを?」と聞いた作家に対して、「東大に決まってるじゃないですか」と怒った記者がいたらしいが、この人も、面白い容姿ではあるが、その実ものすごいエリート意識の持ち主なのではないか。それを隠そうとして、わざとアフロヘアという珍妙な髪型にしているのかもしれない。おそらくそうだ。いや、もう、絶対そうに決まっている。なんと嫌らしい精神でせうかっ。

もちろん朝日新聞だから現実を突きつけられても、決して「自分がおかしい」とは考えない。どう考えるか?

そうや、こいつら条例のことを全然知らんのとちゃうか。そうやそうや、知らんのや。知らんから橋下人気にごまかされて投票してもうたんや。よっしゃ、アホでもわかるように親切丁寧に教えたろ。書き方も工夫せんといかんな。最初から否定したらあかんわ。そうやそうや。ハゲのクソ上司に正論で反発しても、関係はこじれるばっかりやったやんか。まず、肯定するんや。橋下のええとこは褒める。そのあときっちり批判したらええんや。

引用ばかりではつまらないので大阪弁に翻訳してみたのだが、元の文章はさすがにこれほど下品ではない。だが、意味的には上記の文章と同じことを書いている。

いいですか、皆さん。三度言いますが、これがアサヒ脳なんですよ。いや、アサヒ脳なのだっっっっ、と断言した上で大声で叫ばせていただく。

他にも「抗議を受けないってことは、いつしか声の大きな者、力の強い者の代弁者になってしまう可能性をはらんでいる。マスコミが先頭に立ってモノ言えぬ社会をリードすることになりかねない」という文章があるのだが、ここにもアサヒ脳が感じられる。勘違いした正義感である。読者を信用していないのだ。この人が言う「引っかかりのないつるんとした記事」を出し、あとの判断は読者に任せるという立場を取れないのが、そもそもの選民思想なのだ。確かに私自身国民の90%は愚かだと思うが、だからといって意見の押しつけはいけない。朝日新聞が目指すべきは、事実のみで語られたつるんとした記事なのだ。

まあ、重箱の隅をつつくような文章になってしまったが、この人が節電生活をやる部分は素直に面白い。例によって脱原発ではじめた生き方の変革なのだが、言うだけでなく行動している時点でテレビに出てくるコメンテーターよりも立派である。反原発を訴える人間のどれだけが節電に努めているか。特にテレビに出てくる連中など、エアコン付け放題、誰もいない部屋も照明付け放題、さらにはプラズマクラスター空気清浄機付け放題、まあ空気清浄機は消費電力が少ないからいいんだけど、あの連中の多くは電気代など気にしていないのではないか。くそ、金持ちめっ。

その点、稲垣えみ子さんは違うのである。

掃除機をやめてほうきで掃く。エアコンをつけない。洗濯機もいらない。ついには、冷蔵庫まで破棄してしまう。結局残っているのは、電灯とラジオ、パソコンと携帯電話だけなんだそうである。

そして、著者の文章を読んでみると、それが無理をしているようにもやせ我慢をしているようにも読めず、むしろ「こういう生活のほうがいいのかもな」と思えるのである。

ちなみに節電をテーマとしているらしい「寂しい生活」や冷蔵庫を使わないことで生まれたらしい「レシピがいらない! アフロえみ子の四季の食卓」などという本も出ていて、なかなか活躍しているようなのだ。

しかも、アフロえみ子というリングネームらしきものが付いているのである。気になるのは、著者の紹介に必ず「元朝日新聞記者」と出ていることで、著者としてはそろそろその肩書から開放されたいのではないか。いずれアフロえみ子で売っていくのではないかと思われる。

まあ、「いい朝日新聞の記者は、死んだ朝日新聞の記者だけだ」ということわざがある通り、元朝日新聞記者という肩書からは死ぬまで逃れられないと思うのだが。