だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

夜の自転車で繰り広げられる、どっちが明るいかの熾烈な闘い。

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ジョギングをしていてよくある困った状況が、同じ方向に走ってるやつと出くわすことである。私もつまらないところで負けず嫌いだから、ついピッチを上げてしまうわけです。人間としての器が小さいんでしょうな。せいぜいお猪口程度だと思う。

で、それが自転車に乗っていてもよくある。

まあ、自転車の値段の差はしかたがない。私は、自転車としては少しだけ高価な20万円くらいの自転車を持っているのだが、ふだんはお母さんの自転車を使用している。俗に言うママチャリだ。なぜママチャリを使うかと言うと万一盗難に遭ってもショックが少ないから。それに何と言っても手軽で便利である。ロードレーサーに前かごは付いてないのだ。

最近は、ロードレーサーに乗っている人も多くて、近所の自転車道ではママチャリの3倍くらいのスピードで一瞬に抜かれるわけです。心の中で「わしの自転車だって20万円。お前のエスケープよりも高い」などと叫んだって相手に聞こえるはずもなく、逆に「どかんかい、ママチャリに乗ったハゲのジジイがっ」などと相手の心の声ははっきりと聞こえてくる。ハゲは関係ない。失礼でしょうが~ッ。

まあ、便利なママチャリを選んだんだから、多少の屈辱は仕方がないわけです。

問題は、夜間走行時に出くわす屈辱である。それはライトの照度で競われる結果なのだが、あなた、暗いライトほど情けないものはない。暗いライトなど存在価値がないわけです。それをつけている時点で、自分自身が無意味と思われても仕方がないのだ。

骨の折れた傘、座敷に上がったときの穴の空いた靴下、それと同じくらい暗い自転車の前照灯は情けない存在なわけです。

で、言うまでもなく100円ショップの自転車用ライトは漏れなく暗い。私がこれまでに買った6つのライトは、いずれも「それで付いとるんぎゃおー」となじりたくなるほど暗かった。

夜の自転車道は暗いにも関わらず、私の自転車のライトはまるで役に立たない。そこに後ろから近づいたロードバイクの明るいライトに照らされ、私のライトなどその明るさの中に埋没してしまう。存在の無意味、まさにそうなってしまう。

ああ、なんという情けなさか。

この間買った単4電池3本を使う、ちょっとデカ目のライトもでかいのは図体だけ。まるで役に立たない暗さなのだ。でかい分だけ情けない。しかも、電池を3本も使いやがって。省エネからは程遠いのだ。

で、さすがに私も碇シンジ状態に、いやむしろ原タツノリ状態と言ったほうが正確か。ついにAmazonで自転車用のライトを購入したのである。

まあ、おそらく中国製なんだろうが、1,700円の割にはアルミ合金でずっしりと重く、しかもその明るさには驚いた。800ルーメンだから、ちゃんとした自転車用ライトとしては特別に明るいわけではないのだろうが、100円ショップのと比べると、月とスッポン、クジラとイワシ駿河の富士と一里塚、英語で言えばAs burr around the moon bodes wind and rain(白墨とチーズの如し)である。

一つ心配なのはバッテリーが充電式ということで、おそらく3年くらいで寿命となるのではないか。まあ、前照灯の場合は、電池を消耗しやすいのでコスト的には充電式のほうが安くつくだろう。なにしろ元が1,700円だ。

後尾灯は、私の使っているのは電池式で結構明るいのだが、電池の持ちもかなりいいようだ。前と後ろで使い分けるのがおすすめである。

で、さっそく夜の自転車道に出かけてみると、いやあ、素晴らしい。

これならほとんどの自転車に負けないのではないか。唯一の例外は、前照灯と頭にヘッドライトを付けた自転車乗りがたまにいることで、しかも両方ともやけに明るいのだ。

昨夜もすれ違ったのだが、「へへへ、そのライト1,700円でこうたやつやな。貧乏なんやなあ」などと心の声が聞こえたのである。さらには、「ハゲなんやから、頭も光らせたらええのに」と余計なことを言いやがり、思わず私は「失礼でしょうが~っ」と叫んだのである。

 

※ちなみに上の写真は、アレックス・モールトンの自転車。イギリスのお城でハンドメイドで作られているのである。このモデルは、モールトン博士の生誕100周年記念モデル「センチュリー」だ。確か価格は140万円くらいである。誰か私に買ってくれ。