おかしなことを言う人がいるものだ。
韓国でバレーボールの代表選手が、中学時代に行ったいじめが問題となり代表を外れたというニュースにからめて、テリー伊藤さんがこう言ったらしい。
「いじめした芸能人は、当然、当時のことは覚えてるわけですよ。そういう自分が嫌だから、芸能界に来たんじゃないですか? それで必死になってやってるのに、いじめの過去を引っ張り出すようなのは、僕はルール違反だと思いますね」
完全に自分語りである。「そういう自分が嫌だから、芸能界に来たんじゃないですか?」って、そんなことワシが知るかいっ。
彼は、早い話が「芸能人になって頑張っている人は、過去にいじめをやった経験はチャラにしてあげよう」と言っているのである。どうやらテリー伊藤さん、よほどひどいいじめをやっていたのだろう。でなければ、こんなセリフが出るわけがない。
モデルの長谷川ミラという人も「学生時代のいじめは大なり小なり誰もが通ることで、過去の事を芸能人だからって掘り出して告発するのは、逆にいじめなのではないかなとも…」と言い、さらに鈴木紗理奈という人も、「いじめの苦しみ、大人になっても忘れられないって人がいるのも分かるけど、それを『見返すため頑張ろう』って自分に向けるんじゃなくて、『お前あの時~』って相手に矛先を向けると、(憎しみが)終わらない」と言っている。
まず「逆にいじめ」で何か問題があるのだろうか?
学生時代にいじめていて、有名になってから告発された。それは自業自得でしかない。そもそもいじめた記憶があるのなら、その相手にきちんと謝罪をすべきだろう。それをしなかったくせに、告発されたら「それもいじめや」などと言い張るのは非常に不細工。人間として情けない。覚悟を決めて、堂々といじめられんかいっ。
そもそも「見返すため頑張ろう」などという心境に達する人間はごく少数である。いやいやいや、「見返すため頑張ろう」という意識ですら、そこにはいじめた相手に対する憎しみが満ちているのだ。そんなこともわからんのか、鈴木紗理奈っ。
この三者の発言を見るに、どうやら芸能界というのはいじめていた連中でいっぱいなのではないかと思えてくる。怖い世界だなあ。
ちなみに私は、いじめたりいじめられたりの経験はない。そもそも人と接するのが嫌いで、中学は授業をサボって近所の山に芝刈りに行き、高校時代は川で洗濯をしていた。
まあ、いじめた側は忘れても、いじめられた側は忘れない、という言葉を聞いたことがあるので、もしかするといじめたことを忘れているのかも知れない。それは、考えてみると怖ろしいことだ。私がすでに顔も名前も忘れてしまった連中が、「呪ってやる」などと藁人形に五寸釘を打ち込んでいるのかも知れないのだ。
念のためにテリー伊藤さんに弟子入りしようかと思う。