だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

アニメ版「進撃の巨人」を見てからの実写版は、できれば「進撃の巨乳」であってほしかった。

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いやあ、申し訳ない。

進撃の巨人」のことを馬鹿にしていて申し訳なかった。いや、実は、漫画もアニメも見ていなかったのだ。チラッと見て「なんじゃい、この下手くそな絵は」などと呆れ、それ以降、興味の対象から外れていたのである。

そう言えば、漫画の「寄生獣」もそうだった。あれも「なんじゃい、この下手くそな絵は」などと呆れ、その後たまたま読んで面白かったので全巻購入したのである。今では、何度も読み返しているほど好きな作品となった。

今回は、Amazonでアニメ版の「進撃の巨人」が見放題になっていて、「まあ、ヒマだし見てやるか」などとふんぞり返って見てみたんだが、途中で思わず正座したのである。いやあ、申し訳なかった。いや、申し訳ございませんでしたと土下座したいほどである。

やはり先入観はいけない。ババロアがウンコみたいな名前だからと言って食べないのと同様、非常に愚かなことなのだ。

アニメ版「進撃の巨人」は、傑作だった。よくできたアニメでも原作よりは落ちることが多いので、おそらく漫画版の「進撃の巨人」は大傑作なのだろう。いずれ全巻購入して読ませていただくのである。

さて、私はゾンビ映画が大好きなのだが、かつてこんなことを考えたことがある。

うーむ。ゾンビが速く走ったり知能を有したり、随分と様変わりしたものだ。まあ、それもやむを得まい。マンネリは、死そのものだからな。だが、これからもゾンビ映画を作り続けるのなら、もっと新しいゾンビが必要だろう。斬新なゾンビが必要なのだ。……そうだ。例えば、ゾンビが巨大化するというアイデアはどうだろう。

私は、巨大化したゾンビを頭の中に思い浮かべた。

うーむ。これではゾンビものに不可欠な恐怖感が生まれないな。巨大であれば、所在ははっきりしている。ドアを開けた瞬間、人間を食うゾンビがいて、こちらをゆっくり振り返るなどと言う演出は不可能だ。そもそも巨大なゾンビなど強すぎるではないか。3メートル以上のゾンビの頭を破壊するのは至難の業だ。バール程度じゃ無理だな。人間に勝ち目はない。勝つ可能性があるからドラマになるのである。無理だ。

などと考えて、結局、巨大ゾンビのアイデアは断念したのだが、これは単純に私の才能のなさによるものだった。巨大ゾンビの問題点は「進撃の巨人」によって解決され、素晴らしい作品となって誕生したのである。

私に足りない問題点は歴史観だった。構成力も文章力も足りないが、一番足りないのは歴史観なのだ。ああ、こんなことなら歴史の時間にSFマガジンを読むのをやめておくんだった。

単純にゾンビが巨大化しただけでは、物語にはならない。巨大化したゾンビと長い時間をかけて戦い、生き延びることで闘う術を手に入れ、知恵を蓄積し、そうした歴史があってはじめて物語は誕生するのである。「進撃の巨人」は、そこに戦争やら革命、さらには人種差別や歴史捏造や子供への洗脳など、様々なテーマが盛り込まれているのだ。

いやあ、よくもまあここまで緻密な歴史を、ここまで面白く作り上げたものだ。さらにファイナルシーズンでは、舞台が入れ替わる。物語は複雑化し、登場人物も一気に増える。私などは、二回見てもよくわからないのである。

76話以降は、今冬に放送予定である。まだちょっと先なのだ。

仕方がないのでアニメ版に続いて実写版の「進撃の巨人」を見たのだが、いや、これは残念。アニメ版と比較されるのはかわいそうだが、比較されて当たり前であり、まあ、仕方がないね。

役者はいい人が揃っていたと思うのだが、例えば有名なセリフを無理やり入れ込んだ場面が多く、演技が浮いているように感じた。セリフが重ければ重いほど滑稽さは増し、これはちょっと恥ずかしいのだ。アニメだから成立するセリフや演出というものもあるのではないか。

ちなみに立体機動の描写は失敗だろう。立体機動は、「進撃の巨人」の魅力の大きなポイントである。これこそアニメと比べるのはかわいそうだが、あのスピード感があってはじめて「あれえ? この仕組じゃ無理なんじゃないの」という疑問を抑えつけることができるのだ。私は画面を見ながら、湯川博士のように頭の中で数式を思い浮かべ、「うむ、あの動きは物理学的にも人体工学的にも無理だな」とつぶやいたのである。まあ、嘘だけど。

意外なことに巨人(小さい方)の出来はなかなかよかった。ただし私としては、もっと巨乳の巨人を出せと言いたい。最後の方の場面で巨乳の巨人が出てきたのだが、あと30体は出していただきたい。ただ、巨人に乳首はないらしいので、ちょっと残念である。

ミカサ役の女優の顔は、正直私の好みからは大きく外れるのだが、どちらかというと巨人顔であり、私はいずれあの子が進撃の巨乳になるのではないかと期待していたのだ。残念ながらそれはなかった。映画館で見ていれば「金返せ」と叫ぶところだろう。

さて、ゾンビ映画で一番ワクワクするのは、ゾンビ化がはじまる最初の部分である。人々は恐怖に襲われ、世界はパニックで満ち溢れる。その混乱が面白い。

したがって「進撃の巨人」を映画化するなら、私としては巨人化がはじまった時代をじっくりと描いてほしかった。舞台は、もちろん日本である。エレンなどという洒落た名前は必要ない。花子さんや太郎くんでいいのだ。

実写版の後編で、ちらりとそんな場面が出てくる。コンビニでおっさんや女子高生が突然巨人化するシーンがあり、これは死人がゾンビ化する場面よりも怖いのではないか。私がじっくりと見たいのはまさにそういった世界なのだ。

実写版「進撃の巨人」は、アニメ版「進撃の巨人」という傑作にかなわなかった。特撮がメインとなるこの手のSFものでは、それは当然であり、むしろ挑戦することに意味があると思う。

だが話題性があるだけに、「やっぱり邦画はだめだね」という評価が増えてしまうわけで、「ガッチャマン」や「デビルマン」の教訓が生かされていないとも言える。ろくに邦画を見ていない連中のネタになってしまうのは、極めて残念だし悔しい。お金持ちの皆さんは、ぜひ、邦画に金を出していただきたいのである。

最後に私がおすすめする進撃の巨乳を紹介しておこう。乳首をつけてくれと声を大にして言いたい。

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