だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

「勉強だけがすべてじゃない」だと!? なぜ、そんな極端なことを声高に言うのか。さては、お前、勉強できないな?

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どうも私は、極端なことを言う人が苦手で、例えばよく聞くのが「お金だけがすべてじゃない」というセリフである。当たり前ではないか。そんなことわかりきっているのであり、わかりきっていることを声高に言うのは、言う理由がその人にあるということだ。言わずにおられないのである。

つまり、その人は、貧乏人なのだ。たとえ平均的な所得であったとしても、自分よりも金を持っている人が妬ましいのだ。だから、「金だけがすべてじゃない」と自分に言い聞かせなければならない。心が妬みで満ちてしまうのはつらいことなのだ。

さて、「勉強だけがすべてじゃない」と誰かが言ったらしく、それがネットに掲載されていたのだが、これも「お金」と同じ理屈である。言った人物は、勉強ができない人、もしくは勉強ができる人を妬んでいるのである。

そもそも勉強ができる人が「いや、でも、勉強できることがすべてではないですがね」と言うのならいいのだが、勉強ができない人が言ってはいけない。かっこ悪い。

私も勉強はできず、小学校から大学まで宿題やレポート、家庭学習なども一度もやったことはなく、先生によっては廊下に立たされたり親を呼び出されたりしたものだ。一番のピンチは大学の卒業だったが、さいわいオホーツク大学は名門とはいえアホの大学だったので単位数ぴったりで卒業できたのである。

なぜ、学校に行き続けていたのか、今考えてもさっぱりわからない。当時はフリースクールなどなかったし、「学校は行くもの」という固定概念があったのだろう。

授業中には小説を読み、前に座る女子のブラジャーに欲情した。欲情度は、白・ピンク・ブルーの順である。ラッキーだったのは文章力が平均値よりも高かったおかげで、「まあ、あいつは仕方がない」と比較的大目に見てもらえたことだ。私自身のプライドのようなものも、それで守られた。従って、「勉強だけがすべてじゃない」などと言い張って、自分を守る必要はなかったのである。

いいですか、皆さん。

お金も勉強も、すべてのはずがない。私はいまだかつてお金がすべての人に出会ったことはない。もちろんお金が大好きな人はいっぱいいる。たまにドラマなんかでも「金がすべてなんだよ」などと言い放つシーンがあるが、あれは、相手にダメージを与えるために言っているか、もしくは悪ぶっているだけである。

今、金を稼げている人は、ほぼお金が大好きな人ばかりである。金が好きだから、努力して金持ちになれる。学歴という勲章を得たいから勉強を頑張る。そして、頑張れない人が「学歴が全てじゃない」「お金が全てじゃない」と負け惜しみを言う。

私は、金も学歴もない人間であるが、だからといって決してそんなさもしい人間にはならないのである。正々堂々、「お金がある人がうらやましい。『いやあ、レクサス買っちゃいましたよ』と自慢しやがって。へそかんで死ね」「東大卒がねたましい。私の学歴を鼻で笑いやがって。へそかんで死ね」と言うのである。決して、私はイソップ物語の「すっぱい葡萄」に出てきたキツネにならないのであります。

ちなみに私を見て「大丈夫、顔がすべてじゃないからね」というのはやめていただきたい。一番、傷つくのである。