だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

立ちこぎする人

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おお、見事な立ちこぎじゃないか。

近所にあるサイクリングロードである。小春日和で鼻歌などを歌いながら自転車を走らせていると、男の自転車に追いついた。30代後半といったところか。何の特徴もないオッサンなのだが、ただ一つ、その男は立ちこぎをしていた。

変だな、と私は首をひねった。平坦なサイクリングロードである。坂道でもないのに、なぜ立ちこぎをしているのか。スピードも出ていないのだ。立ちこぎをしてスピードに乗るとこぐのをやめる。だが、サドルには座らず立ったままなのだ。

すぐに私は推論をはじめた。

1 痔である。サドルに尻を下ろすと痔が痛むのだ。
2 脱糞している。気持ち悪いから腰を下ろせないのだ。
3 サドルを盗まれた。最近たまに聞く事件である。

3はすぐに消去された。男のママチャリは、すぐ目の前である。サドルが付いていることは確認できた。きたない自転車だが、サドルに不備はないようだ。

次に2の可能性も私は消した。すぐ後ろを走っているのだ。いくらマスクをしていても、さすがに脱糞していれば臭いは届くだろう。

ちなみに臭いを感じていれば、それは鼻の奥の受容体にウンコの分子が届いたと言うことであり、つまりはウンコの一部を体内に取り込んだと言うことだ。ああ、気持ちが悪い。臭いを感じたときには、時すでに遅しである。気をつけなければならない。

残る可能性は、痔である。

私は、いつ死んでもおかしくないくらいの高血圧で、緑内障白内障でろくに本も読めず、さらにはコミュ症なのだが、幸い痔にはなったことがない。比較的早い時代からウォシュレットを使い、ウォシュレットが付いていないトイレではウンコを出さないように心がけている。その成果もあって、私の肛門はいつもピカピカなのだ。嘘だと思うのなら見せてやるから訪ねてきなさい。

そうか、痔か。

私は、すぐ前で立ちこぎを続ける男を見ながら納得した。一度もサドルに腰掛けることなくペダルをこぎ続ける男。私は、一抹の悲しみを感じたのである。

結論は出た。これ以上、スピードの遅い男の後ろを走る必要はない。私は、チラリと右後方を確認し、痔の男を追い抜きにかかった。

もちろん私は人の痔を笑うような失礼な男ではない。人の痛みを知る男である。だが、追い抜きざまについ鼻歌が出てしまったのは、いったいなぜなのか。

♬ 痔にはボラギノール。い~クスリです。

つぶやくような鼻歌だし、川の流れに風の音、さらには子供たちの歓声が響く場所であり、その男には聞こえなかったはずだが、私の心からは、しばらく後悔の念が消えなかった。

ん? 待てよ。

「い~クスリです」というのはボラギノールじゃなかったか。あれは太田胃散だったな。しかし、なぜ太田胃散なのだ。胃が散る、と書いて胃散。痛みが散るということなのか。などと次なる疑問に私の思考は支配され、痔のオッサンの記憶は思い出となり、もはや遙か後方だ。