だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

う~ん、ちょっと消化不良だなあ。と思った「ガリレオ禁断の魔術」

まあ、福山雅治はいいんですよ。相変わらずイケメンだし声もいい。生まれ変わるならやはり福山雅治で決まりである。一部の俳優の演技に首をかしげる部分はあったのだが、まあ、それもいい。私に演技がどうこう言うだけのスキルはない。

一番、首をかしげたのが、今回の凶器となる「レールガン」である。私は、壁に穴が開いたという映像を見ただけで、「ああ、これはレールガンだね」と思った。一緒に見ていたクレオパトラ似の妻も「あら、これはレールガンかしら」と言った。おそらく全視聴者の6割はそう思ったのではないか。

私は「ガリレオ」の熱心な読者でも視聴者でもないので不満のピントがずれているかも知れないが、私としては、もう少し、パズル的アナログ的な謎解きがほしいのである。すでに開発されている兵器をそのまま出すことには首をかしげざるを得ないのだ。湯川博士の数式を書く決めのシーンも、このドラマでは唐突で、あまり必然性がないように思えた。

あと引っかかったのが、「科学を制する者は世界を制する」という言葉である。これは、犯人の父親の口癖なのだが、犯人も犯人の姉も、彼らに関わる政治家も盛んに口にする。十数回は出てきたのではないか。

使い古されたレトリックだし、言葉としての魅力は薄い。そもそも「制する」とは力でもって支配するという意味である。あまりイメージのいい言葉ではないのだ。なぜ、こんな陳腐で暴力的な言葉を、キーワードとして使ったのかと私は不思議で仕方がなかった。

まあ、一応、この言葉に対する伏線回収はあって、湯川博士は最後にこう言うのだ。

核兵器を念頭に、君のお父さんは自戒する意味でこの言葉を使っていたのかも知れないな」

いやいやいや、自戒する言葉なら自戒する言葉として語れよ、と思うのである。もしかすると原作には、犯人の父親がそのセリフを言うに至った経緯や犯人が受け継いだ想いなども細かく描かれていたのかも知れないし、東野圭吾のような作家なら、当然説得力のある言葉として成立させていると思う。だが、少なくともドラマを見る限りはチープな言葉としか聞こえなかったのである。

同様にかつての教え子だった犯人に対し、湯川博士がどういう行動をとるかが一番の見所なのだが、そのあたりも少々私には消化不良だった。わかりやすく言うと、ニンジンとトマトの皮が、ウンコに混じっているような感覚である。

原作を読もうかと思う。でないと消化不良のまま「ガリレオ禁断の魔術」との縁は切れてしまうに違いない。明日図書館に行って探してみようと思う。本来なら買うべきなのだが、残念ながら金がない。東野圭吾ほどの売れっ子なら、図書館で借りても決して「この貧乏人がっ」などとなじることはないだろう。