だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

もう一度映画館で見たいと思った「シン・ゴジラ」

私は、断然、ガメラ派だった。

怪獣大戦争」でゴジラの「シェー」(上の写真参照)を見た瞬間に怒りに震え、こんな子供だましの映画を作りおってと映画館の椅子に座ったまま地団駄を踏んだのだ。子供ながらに悔しかったのである。

初代ゴジラに踏み潰されそうになり、「お父さんのところに行こうね」と死を覚悟した母娘を描いた、あの非情さはどこに行ったのだ。あれが怪獣の本質なのだ。

まあ、ガメラも結局は子供の味方に成り下がり、「ガメラ対大悪獣ギロン」を最後に、映画館に見に行くのはやめた。正義の味方の怪獣など、誰が見たいものか。ああ、お父さん、もう、ガメラゴジラも見に行かなくていいですよ。明日は、「マッケンナの黄金」でも見に行きましょう。

平成の時代になってガメラは復活し、その飛行形態や火球の発射には満足したものの、やはり人間(子供)との結びつきというテーマを省くことはできなかったのか、ドラマとして残念な部分が多かった。

それは第三作の「ガメラ3邪神覚醒」まで踏襲され、純粋な怪獣映画を望む私の心は満たされなかったのである。いや、映画としてはそこそこ好きですよ。三作とも映画館に見に行ったし、パンフレットも買った。だがなあ。

で、「シン・ゴジラ」である。これは、見事な怪獣映画であり、会議映画でもあった。最近、Amazon Prime Videoで再見したのだが、いやあ、実におもしろい。私が理想とする怪獣映画に近いことを再認識したのである。

人間など知ったことか。わしは、歩きたいように歩くんじゃい。家が潰れる? そんなん知るかっ。放射能だってまき散らしてやる。福島原発の一万倍まき散らしてやる。もう、東京には住まれへんぞ。

これぞ怪獣の鑑である。

なにより人間ドラマを排除した点がいい。

特に最後の攻防で凝固剤を注入する特殊建機第一小隊は全滅しているわけで、たぶんあれは特殊車両の免許を持った働くおじさんたちだったと思うのだが、このあたりいくらでも感動のドラマにできただろう。だが、それをしないどころか、「死」を予感させるような人物カットすら入れないのである。「特殊建機第一小隊、全滅」というセリフだけなのだ。

もちろん、人間ドラマを排除していても、こうして私が「ああ、あの爆発の炎の中には死を覚悟して参加したおじさんたちが……」と胸を熱くしているように、無感動ではなく、きちんと感動につながる作りになっている。たいしたものだ。

ひとつ不満を言えば、ここまで徹底しながら、なぜかアメリカの女性政治家(石原さとみ)と主人公の男性政治家(長谷川博己)には、臭いドラマが用意されていて、いや、あれはセリフと演出が臭かったのか。彼女はアメリカ人を演じている日本人にしか見えず、「ああ、ネイティブスピーカーの発音というものは難しいんだなあ」と思った次第である。

あの二人の関係がもっと無機質に描かれていれば、私としては満点だったのだが、いやあ、実に惜しい。まあ、99.97点くらいは付けてもいいと思う。

ちなみに映画館で見たときはパンフレットが売れ切れで悔しい思いをした。「ジ・アート・オブ シン・ゴジラ」という本も欲しかったのだが、1万円以上して、買う勇気が出ずに悔しい思いをした。今も悔しいままだ。誰か私にくれないか。