だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

そりゃあ、前科がある人が偉そうにマナーを語っていたら、普通は「どの口が言ってるんだよ」となるわな。

やっぱり過去はついて回るんですよ。

私の一番大きな過去は、それは子供の頃ウンコを漏らしたことであり、ジジイになった今でも「わしは、かつてウンコを漏らした人間じゃ」という諦観に近い思いに、日々圧迫されている。さらに言えば、6年生になっても寝小便が直らず、いまだにトレイを探し回る夢を見て、「いや、待てよ。ここで小便をすると、現実世界でも小便が出てしまうのではないか」という恐れから、夢の中で小便をすることは決してないのである。ああ、なんと悲しいトラウマであることか。

そんな私がウンコを漏らしたり寝小便した子供を叱れるか? いーや、叱れないのである。もちろん感情優先の蛮人であれば、「なにしとんじゃ~っ。こらあ」と叱り飛ばすに違いない。頭が悪いから自分の過去と向き合えず、子供の頃の自分の気持ちを忘れてしまっているからだ。

私は、そんな恥知らずになるより、脱糞と寝小便のトラウマに苦しむ方が何倍もマシであると考えている。

さて、後藤裕樹という人がこんなTweetをした。それが批判を浴びたんだそうだ。

「電車乗ったら3人席の両側に40代女性がスマホいじって座ってた、数駅後に70代くらいの具合悪そうにしてるお婆さん3人組入ってきて1人が真ん中座ったら両側の40代の2人とも寝たふりして残りの2人に譲らない! しまいには70代の3人が降りていった瞬間に2人とも同時にスマホ触り出す! どんだけだよ」

そもそもひねくれ者の私は、「具合が悪そうにしているお婆さん3人組」の時点で「ちょっと嘘くさいな」と考えてしまうのだ。皆さんも想像してほしい。「具合が悪そうな3人の婆さん」ですよ。そんなのがヨタヨタと電車に乗り込んできたら、それだけで私は吹き出してしまうだろう。

だいたい家族なら「具合が悪そうだな」とわかるかも知れないが、初めて会う人でそう判断できるとしたら、それはかなり具合が悪いと考えていいだろう。電車に乗るよりも救急車に乗るべきなのだ。

まあ、Tweetはどうしても大げさになりがちである。おばさん2人のマナーのひどさを強調したくて盛ったとしてもしかたがない。

だが、彼のTweetが批判を浴びたのはその点ではない。彼は、後藤真希の弟という肩書きらしく、まあ、私は後藤真希も知らないのでよくわからないのだが、記事によれば、銅線を盗んだり警備員に暴力を振るったりしたことで前科があるらしい。つまり「前科のある人間がなに偉そうに言ってんだよ」という訳なのだ。しかも、彼の書き方は、おばさん2人に対して、完全に上から目線である。これではカチンと来る人が多いだろう。

批判に対して後藤裕樹という人は、こんなTweetを発信した。

「過去に犯罪を犯した人間は正しい事を発言する事も許されないのでしょうか? そもそもモラルの問題だと思います。何かと過去の犯罪と結びつけますが論点違うのでやめた方がいいですよ。貴方も犯罪犯した人間よりマシだと言い聞かせて同じ事しますか?」

ああ、完全に勘違いしている。まず、前科があっても発言は許される。当たり前である。ただ、前科がある人が「マナーやルールを守ろう」と言っても、誰も納得しないというだけのことである。お前が言うな、と誰もが心の中で思い、その一部の人が批判的なTweetを発信すると言うことなのだ。

世間一般の人がそう反応するのは自明の理であり、それがわからないと言うことは、この人、かなり自己中心的な人なのだろう。もっと自分を客観視する訓練をすべきだと思う。

しかも、「貴方も犯罪犯した人間よりマシだと言い聞かせて同じ事しますか?」というのは、「犯罪者よりマシだから席を譲らず寝たふりをするのか」という意味だと思うのだが、それこそ論点が違っている。多くの普通の人は席を替わるだろうし、自分が立っていれば「ああ、両脇の人、替わってあげればいいのに」と思うだろう。

批判的なTweetは、あくまで「前科がある人間が偉そうにマナーを語るな」という一点なのだ。寝たふりをするかどうかは別問題である。

なぜだか知らないが、慰安婦の捏造記事を長い間唱え続けていた朝日新聞にしても、詐欺で有罪になった辻元清美にしても、生活保護費を不正受給した河本準一にしても、喉元を過ぎれば「正義は我にあり」という態度でもの申したがるのである。私が一番苦手な人たちだ。私が前科者になったら、一生道の真ん中は歩かず、すべての人に対してへりくだって生きてやる。

さて、ここからが本題だ。

こうした場合の最適解は何か?

それは直接おばさんたちに文句を言うことでも、後になってSNSで非難することでもなく、立ったままのお婆さん2人に「大丈夫ですか?」と声を掛けることだと思う。「大丈夫です」と言えばそれでいいし、「いや、ちょっと」となれば、寝たふりをしているおばさん2人を起こして、事情を説明してあげればいい。

まあ、お婆さんに声をかけていれば、それに気づいた誰かが席を譲ろうとするだろう。そういうきっかけがあれば、わりと性善説に従うのが普通の人々である。席を譲るよりも勇気がいるかも知れないが、あなた、頑張ってみようではないか。

Tweetするくらい義憤に駆られたんなら、彼は、声をかけるべきだった。そこまでやってTweetしたなら、「いい話」になったのだが、このTweetでは単なる一般人の愚痴と同様であり、能書きはたれるが行動に移さない、言わばバラエティー番組のコメンテーターなのだ。

彼はタレント的な活動をしているようだし、それにしてはブランディングの意識が足りない。

理想を言えば、婆さんに声をかけて、めでたく席を替わってもらえて、それを自分で発信するのではなく、たまたまその場に居合わせた一般人がTweetしてくれれば最高だったのだ。「いやあ、僕だと気づいた人がいたんですね。照れくさいです」

このエピソードにオチ的なものがあるとすれば、実は彼自身もおばさんの向かいのシートに足をガバッと広げて腰掛けていた、というものなんだが、さすがにそれはないだろうな。あったら面白いんだけどなあ。