だれかが松葉杖で扉をたたく

結構、嘘つきである。

(ほぼ再録)自分の「便利」のために人を殺す老人たち。本当に田舎では車がないと生きていけないのか?

異常も日々続くと日常になる。

アクセルとブレーキを踏み間違えての事故は、今や日常茶飯事である。誰も驚かない。今日もテレビでやっていた。97歳の爺さんが歩道を走って歩行者をひき殺したのだそうだ。亡くなったのは42歳の女性である。ひどい話だ。

こうした事故のあと、ニュースバラエティ番組のコメンテーターは、必ずこう言う。

「やはり高齢者の方には、免許返納をおすすめしたいですね。ただ、現実問題としては、お年寄りに車に乗るなとは、なかなか言えないわけですよ。足が不自由な場合や、特に田舎では、車なしでは生活できませんからね」

こうしたセリフに私のアンテナは、ビンビンに反応するのである。ん、待てよ。ビンビンはちょっと卑猥か。言い換えよう。私のアンテナが勢いよく勃起するのである。いや、それはもっと卑猥だな。

まあ、細かい表現などどうでもいい。

コメンテーターなどテレビ芸人としても最下層のクラスではないか。そんな連中の言うことなど、ほいほい信じていいのか? い~や、いいわけがない!

私は、自分の婆さんのことを思い出した。

私の婆さんは、もう、とっくの昔に死んだのだが、地方のど田舎に住んでいて、足腰も悪く、だが免許は持っていなくて、椅子に変身する手押し車を使っていた。たまに帰郷して散歩に付き合うと、100メートル進むのに10分かかるのである。

それでも「車がなければ生活していけない」ことなどはなく、95歳までしっかりと生きたのだ。死因は、「車がなくて生活できなかった」ではないのだ。ただの、老衰である。

ちなみに上記の事故を起こした爺さんの場合、自宅から最寄りのバス停までは約650m、スーパーまでは約1kmの距離だったらしい。私の婆さんの環境よりも、はるかに便利な立地だ。もちろん97歳の老人からすれば、果てしない距離かも知れないし、車の便利さを知ってしまったあとでは、なかなか車を手放せないのは理解できる。しかしなあ。

コメンテーターに問いたい。

本当に田舎では車がないと生活できないのか?

もしそうなら、免許を持っていない人は死ぬしかないのか? 本当は、車なしで生活している人も大勢いるのではないか? 車がない不便さを取材するだけでなく、「車がなくて不便だけど、私はちゃんと生活してるよ」という高齢者も取材してほしいのだ。

子供は純粋だの、犬好きに悪い人はいないだの、あんこは粒あんに限るだの、ハゲはオナニーのしすぎだの、何を根拠に言っているのかと私は問いたいのだ。適当にそれらしいことを言って人心を迷わすなど言語道断である。私のハゲは、決してオナニーのしすぎではないのであります。

そもそも車に乗らないと生活できないような老人は、正直言って健康体とは言えないのではないか。視力、体力、反射神経、判断力。すべての面で劣っていることは明白である。

そして、車は言うまでもなく、凶器になり得る道具なのだ。車を使えば、満足に歩けない老人だって、簡単に何人もの人を殺すことができるのだ。

かつて僧衣を着て車を運転した坊さんが警察に検挙された事件があった。頭の足りない僧侶たちが抗議のために僧衣を着て縄跳びをしたりして、はしゃいでいたのだが、私はバカかと唾棄した。

僧衣を着て縄跳びをして万一引っかかっても、ただ、転ぶだけである。だが、車を運転中に引っかかったら、事故につながる危険性があるのだ。僧侶のくせに、万一という発想がないとは嘆かわしいにもほどがある。

万一だから自分にも起こりえると考えるのが賢者であり、万一だから自分には起こらないと考えるのが愚者である。酒を飲んで車を運転する連中が愚者の典型だ。

満足にカラダを動かせないなら、もう、車には乗らないほうがいい。車に乗れば移動はラクだろうが、誰かを殺す確率も増えるのだ。死なせてからでは遅いのである。人生の終盤にきて、人殺しになってしまうのは、これは地獄だ。自分の便利のために、他者を危険にさらすなと言いたい。

ちなみに私は、60歳を過ぎたあたりで、車もバイクも乗らなくなった。まあ、稼ぎが悪くて節約のためもあるのだが、なにより自分の身体能力に疑問を感じだしたのが大きい。この判断は、賢者間違いなしである。誰か褒めてくれ。